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今年も“その日”が巡ってきました。
最近(在NYの)日本人の若い子と話す時、必ずと言って良いほど
「エーッ ヨーコさんはナインイレブンの時、
すでにニューヨークに住んでたンですかぁ〜?」と驚かれます。
私は反対に「エッあなたは違うの?」と聞き返していましたが、
「まだ高校生でしたよー」ならばまだ良いほうで、
「中学でした」なんて言われると むかつくので、
最近は「いましたよ。ずーっと見ていました」とだけ
答えるようにしています。
現在、私の働いてるところは
World Trade Center跡地から100メートル足らずのところなので
超厳戒態勢が敷かれていて、追悼式典に参列する招待客から、
テニスのUS OPENを観戦するついでの観光客までが
跡地詣でをしていて、地下鉄の駅から跡地までが
参道のようにバリケードが張られごった返し状態です。
詣で客よりも警戒のオマワリがもっと多い!!!!。
あれから10年〜色んなことがフツフツと思い出されます。
あの日、やっとの思いで家に帰ると
『うわぁ〜私達のことを心配してくれてる人ってこんなにいたんだ。
有難いこっちゃ!!!』と驚くほど留守電に
私達のことを心配するメッセージが入っていましたが、
その中の、いの一番のメッセージが仕事で取引のあった
宮城県女川の水産会社の方でした。(津波で命を落とされました)
早寝の両親を電話で叩き起こし、「TVを点けろ、
今後電話がどーゆーことになるかわからんが
我らは無事だから心配しないように」と告げると
私が話している最中にTVの画面が出てきたのでしょう
「あれぇー。ここでもやってるよ。こりゃ大変だ。」と、
父は素っ頓狂な声を上げ、のちにビン.ラディンによる
テロと判明すると 「お前、アメリカは戦争をおっ始めるぞ
危ないよ。帰ってこいよ」と本気で言ってた父の言葉は
今でも鮮明に残っています。
イタリア在住の友人Sの亭主は バリバリのアンチ“ブッシュ”の
リベラルなアメリカ人で「すべてブッシュが悪い」って
ニュースを見ちゃぁカンカンに怒っていたそうです。ブッシュが
大統領でいる限りアメリカに帰らないと言ってたご主人は
オバマ政権が生まれる前にホントに亡くなりました。
その友人Sの母上からは当時
『Sからお2人ともご無事とは聞いておりますが
大変でしたね』で始まる丁寧な、お見舞いの手紙を頂戴しました。
2001年9月11日は ご主人(Sの父上ってこってす)の
手術の日で母上は疲れきって帰宅。
経過と今後の“闘い”を考えると暗澹とした気分で
TVも見ない、新聞も読まない.数日間を送られたそうで 『お見舞いが遅れました。世の中に世界を揺るがした テロ事件を全く知らずにいた人間がおりました… 呆れるでしょ…』と、書かれていたのを覚えています。
彼女の父上も亡くなりました。
911と聞くと連鎖反応で思い出される4人が鬼籍に入りました。
それを思うと10年は短いような長いような…
NHK俳句から
『夏雲や 生き残るとは 生きること』
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