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無題
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昨日のに続きこれも中国人の友人から回ってきたサイトです。
おなじみ中国のアクロバットはよぉやるわい!と驚きます。
“マンネン50肩”の私は痛くてみておられんッ〜
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中国語だからってヒカないでください。
この手のものは 言葉がわからなくても
十分通じますヨッ。
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こんなことは大した自慢になりませんが
私は極端に汗をかかない人間でした。
中高とバスケットボールをやってましたが
「オマエは汗ひとつかいてないじゃないか」とコーチに批判されたのは
1度や2度ではありません。のちに ランニングやゴルフを
始めてからも人並に汗をかかない私を見て
「オマエは汗をかきにくいから新陳代謝が悪くて肌が汚い。俺を見ろ
人一倍汗をかくからこんなに肌が綺麗なんだ」と、亭主は光るオデコを
よく自慢しました。
とにかく亭主はモノを食べて血糖値が上がっただけで
ドッと汗をかく汗っかきなので
ある時、義母が『うわつかた、しもつかた』と言う言い方を
笑いながら教えてくれました。
多分漢字をあてると うわつかたは“上つ方”と書き、
しもつかたは“下つ方”と書くものだと思われますが、
うわつかたの典型、天皇陛下はお上品で汗もかかない。
対して大汗をかくのはジモジモのもの。
「ヨウコサンはうわつかたの出で、あなたはしもつかたの代表なのよ」と、
製造責任者の義母が言うのですから、私はオオデを振って、以来
夏の夕食はいつも首にタオルをかけた定番姿で臨む亭主に
「おい、しもつかた、有難く食えよ。」などどふざけて言ってました。
時は流れ〜
更年期が始まると汗を知らなかった私が、今までの発汗量の
帳尻をあわせるかのように大汗をかくようになりました。
いわゆるホットフラッシュです。
真冬でも水をぶっ掛けられたかのように 滝のような汗が顔から
吹き出ました。当時これが襲ってくると
『恐れ多くも…うわつかたを気取ってすみませんでした』と、
懺悔する気分になったものです。
数年後、体が落ち着くと真冬の大汗こそ治りましたが
汗をかくわ〜かくわ〜。春先でも雑巾がけをしながら
したたり落ちる自分の汗も一緒に拭くなんて行為は毎度のことです。
夏に入れば頭の中から始まって生え際、首筋、胸の谷間 脇、上半身から
ジワジワと音を立てて汗が流れ出します。
そんなわけで 義母のくだすった“うわつかた”の称号は
とっくに返上しましたが
そうかと言って肌も綺麗になってませんッ〜
どーゆーこっちゃぁ?と叫びながら 鼻の頭の汗を今も拭いました。
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父は自分の戦争体験をほとんど語りませんでした。
勿論 私が興味を持って尋ねることも無かったので
あちらも語らなかったのでしょうが、
こちらが尋ねる尋ねないに係わらず、無駄をみつける度
「戦時中は〜」「あの頃は」と説教する母とは対照的でした。
我が亭主が読み終えた『戦記もの』を父に渡しても
「フフン」と積んでおくだけで
むさぼるように読み始める『鬼平もの』と違って
その後父が読んだのかどうか解りません。
それでもTVなどを一緒に観ている時にポツリポツリ語ることがあり、
それをまとめると、
中国の重慶あたりにいたこと。
父の部隊は優勢だったので最後の最後まで
日本が負けたとは信じられなかったこと。
「万里の長城にションベンひっかけた」こと。
戦後、佐世保に帰ってきて東京に戻る汽車の車窓風景から
「こりゃぁとんでもないことになってる」と、胸が詰まってきたこと。
父は現在東京タワーが立ってるあたりで生まれ育った人間ですが
“見事に”一面の焼け野原で 「なーんにも残ってなかった」
増上寺まで焼けていたのを見て「こりゃぁ一家全滅」と、
クラッときたこと。
とりあえず、近くに嫁いでた姉(伯母)の家を探してみようと
目印になるものがなにもないので人に聞きながら歩き回ったこと。
幸い麻布十番の近くはドブ川があったのでなんとなく距離感が解り
探し当てた掘っ立て小屋から出てきたねぇちゃんは
(ヒとシをうまく発音できないねぇちゃんは)父を見た瞬間
「シ.ロシ… シロちゃん…」と言って立ちすくみ
途端、顔を崩して泣きながら抱きついてきたこと。
姉から(家を焼失したけど無事な)両親は
父親(祖父)の在所の知り合いを頼り
群馬県富岡市に疎開していることを聞いたこと。
その場所を尋ね尋ねて両親に会いに行くと
縁側で足の爪を切っていた父親(祖父)は(父を見ると)
鳩が豆鉄砲食らったようにその場にストンと尻餅をつき、
祖父の声で奥から飛び出してきた母親(祖母)は
声も出せず腰を抜かした…こと。
祖父母はドラム缶でお湯を沸かし父の着ていた&持ち帰った
ノミ、シラミだらけのものを煮沸消毒したこと。
父から聞いた戦争体験はそれっきり〜これっきり〜で、
人一倍 食べ物の好き嫌いのあった父が
4本足のものは机以外なんでも食べる中国奥地で
どーやって生き延びたのか?とうとう聞くチャンスはなく、
最近少しずつ語りだした父と同年輩の諸氏の話から
父が決して語ることのなかった中国での日々は勝手に察するだけです。
最近日本人観光客を巻き込んだ海外での大事故が続きました。
両親はスイスで氷河急行にも乗っていますし、
ザイオンからブライスキャニオンまでもドライブしています。
母に尋ねると「行った事はっきり覚えてるわよ。
でも随分昔のことだなぁ…って気がするの」と言いました。
それに比べて戦争中の事は『昨日のことみたい』な
鮮明な記憶が戻るンだそうです。
母の言葉から8月の前半の時期は、母の年代の人たちにとっては
何か尋常でないもの〜、たとえどんなに楽しいことでも
大きな事件が起こっても、それらの前に明らかに65年前の記憶が、
蘇ってくるのだと痛感しています。
今日は終戦記念日。
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