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慎蔵の足は休むことなく長崎へと向かっていた。もう三日ほど休まずに歩いている。体はもう疲労困憊だった。だが休むと聞こえてきてしまうのだ、「お龍を頼む」と言う龍馬の声が。
慶応三年(1867年)十一月十五日、京近江屋にて陸援隊隊長中岡慎太郎と共に海援隊隊長坂本龍馬直柔が暗殺された、という訃報は数日後には長府にたどりついた。この訃報が届いた瞬間、慎蔵は旅支度を始めた。長崎の龍馬の妻、お龍に会いに行くためである。
三吉慎蔵は同年の四月十九日に起きたいろは丸号事件の紀州藩を相手取った賠償金談判の時に命の覚悟を決め、今お龍が滞在している邸宅の主、伊藤助太夫と自分にこのような書状を送っていた。
『御存知の事件で私に万が一のことがあれば妻(お龍)を本国(土佐国の高知)に送り届けて欲しい、そうすれば国本(高知)より家僕と老婆を一人ずつあなたの家(三吉家)に送りましょう』 (慶応三年五月八日) (現代語訳)
今、慎蔵にその約束を果たすときが来たのだった。
だが、慎蔵と龍馬は知り合ってから二年も経っていない。それなのに愛妻お龍を任せるほどの信頼関係が築かれているのだ。だが、否が応でもそうなるしかなかったのだ。お互いが互いの命を助け合ったのだから。
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