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翌日、秀満は早朝から自らの部隊を引き連れて出撃した。
日野城に拠る蒲生賢秀、賊秀(後の氏郷)親子が安土城から信長の遺族らを脱出させ、日野城へと向かっているのであった。
「近江半国と引き替えにお味方を」と懐柔していて、それでいて何の返事もなしにこれであったから、初動が遅れてしまったのだ。
「いいか!蒲生軍は千に満たない軍勢だ!見つけ次第攻撃を開始し、信長の遺族を捕らえろ!蒲生父子は殺してかまわぬぞ!」「はっ!」秀満は全軍に下知した。
「日野城までの途上にある安土を落としてから行くぞ!」「おう!」
秀満、安土着。
守備兵、二十人足らず。
守備兵、突撃。
明智軍鉄砲隊、斉射。
全員討ち死に。
秀満入城。
安土城陥落。
「何とも見上げた者達だ・・・丁重に弔い、葬れ。そして城の財物すべてを調べ上げ、事の次第を光秀様に伝えろ。」「はっ!」秀満は役人と守備兵を城に置いていった。
四刻後。
「いました!蒲生です!」先発していた物見が帰ってきた。
「軽装の騎兵のみ付いてこい!はっ!」
半刻もしないうちに追いついた。
「捕らえろー!」「オォー!」騎兵達が一斉に殿の軍隊に襲いかかった。
そこに、である。
グサッ!ドンッ!バキッ!ブンッ!
・・・ドサッ・・・
銀鯰の兜をかぶった___蒲生賊秀。
当時から「麒麟児」として恐れられていた賊秀は早くに信長にその才能を認められ、人質ながら小姓に昇格させてもらったり、信長の娘・冬を嫁にもらったりしていたから、いよいよ信長に対する忠誠心は厚い。後に名君主として讃えられ、利休七哲のうちの一人(諸説有り)のうちの一人として数えられた男である。その目は静かに、熱く燃えていた。
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大劣勢の中、蒲生賊秀が奮闘しているようですね。ポチ☆
2012/8/27(月) 午後 6:22
ポチ感謝です☆
本当に天命だけが付いていなかった男だったと思います。
それ以外は秀吉や家康に勝るとも劣らないと思います。。。
2012/8/27(月) 午後 6:42 [ 島津は鈍足 ]