顔無暴君歴史通信

幕末にはまってきた今日この頃

明智秀満

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十八話

 翌日、秀満は早朝から自らの部隊を引き連れて出撃した。
 日野城に拠る蒲生賢秀、賊秀(後の氏郷)親子が安土城から信長の遺族らを脱出させ、日野城へと向かっているのであった。
 「近江半国と引き替えにお味方を」と懐柔していて、それでいて何の返事もなしにこれであったから、初動が遅れてしまったのだ。
 
 「いいか!蒲生軍は千に満たない軍勢だ!見つけ次第攻撃を開始し、信長の遺族を捕らえろ!蒲生父子は殺してかまわぬぞ!」「はっ!」秀満は全軍に下知した
 「日野城までの途上にある安土を落としてから行くぞ!」「おう!」
 
 秀満、安土着。
 
 守備兵、二十人足らず。
 
 守備兵、突撃。
 
 明智軍鉄砲隊、斉射。
 
 全員討ち死に。
 
 秀満入城。
 
 安土城陥落。
 
 「何とも見上げた者達だ・・・丁重に弔い、葬れ。そして城の財物すべてを調べ上げ、事の次第を光秀様に伝えろ。」「はっ!」秀満は役人と守備兵を城に置いていった。
 
 四刻後。
 
 「いました!蒲生です!」先発していた物見が帰ってきた。
 「軽装の騎兵のみ付いてこい!はっ!」
 
 半刻もしないうちに追いついた。
 「捕らえろー!」「オォー!」騎兵達が一斉に殿の軍隊に襲いかかった。
 
 そこに、である。
 
 グサッ!ドンッ!バキッ!ブンッ!
 
 ・・・ドサッ・・・
 
 銀鯰の兜をかぶった___蒲生賊秀。
 
 当時から「麒麟児」として恐れられていた賊秀は早くに信長にその才能を認められ、人質ながら小姓に昇格させてもらったり、信長の娘・冬を嫁にもらったりしていたから、いよいよ信長に対する忠誠心は厚い。後に名君主として讃えられ、利休七哲のうちの一人(諸説有り)のうちの一人として数えられた男である。その目は静かに、熱く燃えていた。
 
 

十七話

  本能寺において、信長を討った。秀吉軍を我らと共に挟撃して欲しい____
 
 秀吉の怒りはピークに達した。はずだった。のだが_______
 
 秀吉は、半分しか怒りをあらわにすることができなかった。秀吉は、いつからか天下を欲するようになっていたらしい。
 
 秀吉は泣いた。だが、そのうちの半分は偽りだった。
 
 秀吉は信長を悼んだ。だが、そのうちの半分の感情は天下を狙うチャンスが来たことに対する戦慄だった。
 
 「秀吉様、やっと機が巡ってきましたな_______」官兵衛が囁いた。
 
 「うむ___」秀吉は官兵衛の言にそううなずいた。そして自らと同じ性質を持つこの腹心を、傷つけ合う前に次第に遠ざけようと思った。それが互いのためだとも思った。
 
 そして秀吉は高松城の絶景を見、小便をして陣屋に帰ると、使者が一人いた。
 
 「なにやら秀吉様に直接お見せしたいのだとか_____堺の津田様からです。」
 
 「右府様が討たれ申した。大坂の神戸(織田信孝)様の軍は四散してしまい、丹羽様が警護するだけで精一杯です。」大方そう書いてあった。
 
 やはりこれが知れるとそうなるか。
 
 秀吉は泣いた。今度は全部嘘だった。
 
 小六は書状に驚き、恵慶は知らん顔をしていた。
 
 「光秀を__討つ!」誰がいうよりも重みがあるように聞こえるように秀吉は言った。

十六話

 翌晩、明智軍は坂本城において軍議を開き、
 ・今晩は兵に休養をとらせること
 ・翌朝安土城を落とすこと
 ・近江を最優先に平定させること
 ・細川藤孝、筒井順慶ら畿内の武将に協力、同盟を乞う事
 ・朝廷に正規軍であることを認めてもらうこと
 
 ………などを基本方針として決定した。
 
 その後、秀満は利三と杯を交わした。
 
 「やり・・・もうしたな。」長い沈黙のあとに秀満が言った。
 「ああ・・・だが、やりはしたが何も成し遂げてはおらぬ。」
 「ですな・・・」
 「第一、あの兵の疲れ切った顔を見たか。丹波攻略戦や一向一揆戦、延暦寺攻めで散々惨いことはしてきた上に、昨晩よりも過酷な戦は五万と経験してきたはずだ、いや、昨晩の戦が今までで一番楽な戦だったはずだ。あの一人ひとりの顔に信長とは何であったかがにじみ出ておる。」利三はため息混じりに言った。
 「これから何が起こるか、天下の誰一人としてわかるものはいないでしょう。」秀満も同調した。
 
 が、居た。
 
 
 同じ頃、備中高松城付近_____
 
 毛利攻めをしていた羽柴筑前秀吉は備中高松城を囲む堤の上に立ち、自らの小便によって高松城を浸す水の水位をわずかながらに上げていた。
 ここまでの攻め方は順調であった。で、あるのに秀吉の表情はさえなかった。
 今より一刻前____
 
 「殿、よろしいですかな」秀吉が安国寺恵慶と偽の毛利氏との和議交渉のための段取りを確認していたところ、黒田官兵衛が陣幕内に入って来、耳元でささやいた。
 「今、大事な打ち合わせ中じゃぞ、わからんのか!」と、秀吉は小声で叱った。つもりであったがなにせ秀吉は日本三大音声に数えられる程であるから、かなり激しく怒っているように聞こえてしまった。
 「それよりも大事なことでございます。」官兵衛は顔色一つ変えずに言った。
 その時点で秀吉には察しがついた。光秀と信長が畿内で二人っきりになったときから予感はしていたことであった。
 「すまぬな、恵慶殿。すぐに戻ってくる故、小六とでも続けてくれ。」と、秀吉方の外交担当蜂須賀小六に後を託して行ってしまった。
 が、信長の没落、秀吉の隆盛を数年前から見抜いていた男である。信長と光秀の関係を知らないわけがない。恵慶は無言でお辞儀をして秀吉を見送ったが、頭を下げたときに顔がこわばった。
 
 「……半刻ほど前、山中を警戒中に怪しい者が警戒網内に入り込んできたようなのでございます。そして何者か問うと抜刀したようなので、兵達は取り押さえにかかりました。しかし死傷者が続出したようなので、やむなく殺し、その者の笠の中に編み込んであった書状を発見しました。それが……これでございます。」官兵衛は秀吉に一通の書状を渡した。

十五話

 その頃、二条御所前に秀満を先鋒として集結した明智軍は、一万を超えていた。
 「親王様を引き渡せ!親王様には決して我が殿は危害を加えるつもりはない!」秀満は二条御所の塀の内側に向かって叫んだ。
 すると中から、
 「その必要は無い!もはや親王様は内裏だ!」どうやら信忠自身の声らしかった。
 「承知!」秀満は答えた。そしてすぐに、
 「総攻撃を仕掛けよ!」と号令をかけた。
 二条御所を包囲していた明智軍一万三千人以上の兵は、一斉に塀を登り始め、堀を渡り、守備兵千人ほどに襲いかかった____
 
 「今ごろ無事に三法師は逃げおおせているだろうか・・・」信忠は明智軍の鬨の声に耳を傾けながら呟いた。
 これより半刻前、本能寺が襲撃されているとの報を受けた信忠は直ちに、そして密かに長男の三法師(当時3才、のちの秀信)を前田玄以(のちに豊臣政権下の五奉行のうちの一人となった、僧形の武将。)に命じ、三法師を脱出させていたのだった。
 
 信忠が無謀とも言えるこの二条御所での籠城を決行したのは、実は三法師を逃がすための時間稼ぎという意味合いが大きかった。
 が、誰も分かってはくれていなかった。ただ村井貞勝だけは察してくれているようだった。
 
 四半時もした頃には信忠軍のほとんどが討ち死にしていた。
 「信忠様、旗色が完全に悪うございます、そろそろ火を点けましょう。」貞勝が進言をした。
 「そう・・・するか。」二条御所に火が点いた。
 
 「介錯を頼む。」信忠は小姓に命じた。「ワシも頼む。」勝長も言った。
 
 「そちはどうする?」信忠は貞勝に聞いた。「なぜかはわかりませんが、武人としての血が今さらながらたぎってきたようでして・・・」槍を持ちながら貞勝は答えた。
 「そうか・・・お前は行くか・・・」「ではこれで、逝って参ります。御免。」村井貞勝、享年62
 
 「では我らも・・・」「・・・だな」織田信忠、享年26。織田勝長、享年不明
 
                                                    続く

十四話

 ただ今回は勝手が違っていた。
 
 相手は皇族。名を誠仁(さねひと)親王と言った。
 
 1552年(天文21年)正親町天皇の第五皇子として生まれる。信長の支援、献金のおかげもあり、1568(永禄11年)に親王宣下、1579年(天正7年)には信長から二条御所を譲り受けている。これは信長が正親町天皇の後を自らの息のかかったこの誠仁親王に継がせ、朝廷を思いのままにしようという思惑の表れであった。
 
 「右近衛大将殿(信長)が死んだのじゃ!まろはその恩に報いてここで死ぬ!」親王は叫んだ。
 「いけませぬ、親王様。兄者の恩に報いるのであれば生きのび、即位なされるのです!」長益は言い返した。その隣で京都所司代の村井貞勝と勝長が肯いた。
 「叔父上の言うとおりです、親王様。二条御所を勝手に乗っ取ったうえに、親王様にまでお亡くなりになられてしまわれては父上に合わせる顔が・・・」親王を避難させようという思惑は信忠も一緒だった。
 「即位・・・か。明智の天下では不可能であろうが・・・ワシが右近衛大将殿の臣下に号令をかければ・・・あるいは可能かもしれん・・・わかった。まろは逃げる。」やりきれなさそうな顔で親王は言った。
 「信忠、ワシは親王様を護衛し、内裏へお連れする。すぐに戻るから待っていろ。」長益はいった。
 「わかりました、叔父上。頼みましたぞ。」信忠は了解した。
 
 もはや長益と勝長は信忠の気迫に根気負けを喫して、二条で屍となる覚悟を決めていた______はずだった。
 
 が、長益だけは違っていた。
 
 

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