トークで19

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ボーイスカウトに関する話、スカウト活動で活用できるスポットなど、川口第19団内の指導者間や保護者の方々に対してはもちろんのこと、他団指導者の方々への情報提供の場として交流もできたら、という「トークで19(トーク)」です!
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米国移動野営あとがき
 
 旅から帰り約一ヶ月がたちました。旅行記はとてもシンプルに書いていたので、皆さんに伝えきれなかったことを書かせていただければと思います。だいぶ長くなりますし、内容としてはベンチャースカウト以上・リーダー・保護者の皆さん向けの内容になってしまうと思いますがご容赦ください。
 
(注)文中に「ハイカー」「ハイキング」という言葉がたくさん出てきます。アメリカ人のいう「ハイキング」とは、日帰りハイクから、大きなバックパックを背負って何日も山を含め大自然の中を歩く行為も含むもので、「ハイキング」といえば日帰りハイクのみを指す日本とは大きく意味が異なります。
 
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 今回私が旅に出たのは、美しい自然を見たかったからではありませんでした。英語の勉強も兼ねていましたがゆっくりと考えにふけることが出来る時間と場所が欲しく旅に出ました。心境としては、ローバースカウトの時に自転車をかついでオーストラリアに旅立った時や、10年前にバックパックをかついでチベットに旅立った時と同じ気持ちで、まさにローバースカウトが幸せへの道を探るローバーリング(彷徨)と同じでした。ボーイスカウト運動にはこういう冒険旅行の世界があるということを皆さんにお伝えしたいこともあって、スカウト活動として旅をしました。
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 旅で出会った人たちに「なぜあなたはジョン・ミューア・トレイルを歩こうと思ったの?」という質問を私はいろいろな人たちにぶつけました。多くの人たちが「良い質問をしてくれるね」と喜んで語ってくれましたが、「今後の人生について考えたかったから」と、意外にも私と同じ目的で来ている人も多かったことに驚きました。何人かの人が私と同じように仕事をやめてトレイルに来て自然の中で第二の人生を考えようとしていました。
 
 ただ正直な話を言うと、ローバー時代のオーストラリア自転車旅行の時の方が、大きな衝撃があったと思います。それは当時の私にとって初めての英語圏での旅だったことや、何よりも私が知らないことの多い青年だったからかも知れません。がしかし、ジョン・ミューア・トレイルは想像していたよりも大変なところでした。ロングトレイル(長距離自然歩道)と聞くと登山よりもラクそうな響きがありますが、実際には標高2,5004,000mの高さを毎日登り降りするというコースでしたので、旅の後半まで歩ききる自信がありませんでしたし、旅の目的だった考えにふける時間はあまりありませんでした。
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でも私は、アメリカ各地や世界各国の友人を30人以上作って帰ってきました。これだけの友人を作れた理由は、私は初対面の人とすぐに仲良くなれる特技(これは今回発見したことです)があるのも理由ですが、自分から積極的に人に話しかけたこと、そして一人旅だったことが大きいと思っています。一人旅だと基本的にさびしいので、自然と人に話しかけたくなり積極的に話しかけることにつながります。相手もこちらが一人だと話しかけやすいようです。仲間同士で旅をすると、よくも悪くも旅での喜怒哀楽を仲間だけで共有出来てしまうので他の旅人に話しかけるという行為が減ってしまいがちなものです。私は友人たちのアドバイスからたくさんのヒントを得て帰ってくることが出来ました。ですので、特に青年たちには一人旅をおススメしたいと思います。
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 少し話がそれますが、高い目標への取り組み方を得られたのも今回の成果です。学生時代から登山をしてきた私が今まで自然とやっていた心構えだったのですが、今回とても役立ったものです。それは、山のふもとからてっぺんを見上げると「あそこまで登るのなんて、絶対に無理!」と思ってしまうような高い山でも、510メートルくらい先にある岩や木を目標にして「よし!とりあえずあそこまで頑張ろう!」と決めて少しだけ頑張って歩きます。歩いている途中は上を見上げず心を無にして歩きます。するとあっという間にその目標に着いてしまうので、また新たに近くの目標を決めて歩くのです。このやり方で小さな目標を積み重ねていったらゴールはけっこうあっという間に感じることが多かったです。人生にも使える心構えだなと思っています。
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今回の旅では多くのトラブルもあり、数々の失敗もしました。街で看病してあげた人から風邪がうつってしまい移動野営中に風邪で苦しんだことや、荷物を削る際に充電用のコードを間違って送ってしまったこと、食料を交換する際に計算を間違えたことなど、賢い人ならばそのような失敗はしなかったかも知れません。しかし私はどんなに失敗しても、それは自分らしさを貫いた結果であり、自分の生き方であると受け止め決して自分を嫌いにならないように心を維持しました。これはローバー時代の豪州自転車旅行で得た私の哲学なのですが、一本の道の走り方はいろいろあって良いではないかというものです。体力に自信があって早く走れる人、頭がよくて効率的で無駄がなく走れる人、たくさんの失敗をしながら走る人など人それぞれです。ついつい優秀な人たちと自分を比べて自分はだめだなと思ってしまいがちですが、ゴールにたどり着いてしまえば、そこに行くまでの走り方なんていろいろあっていいではないかと思うのです。特に日本人は頭の回転が速くて効率的で優秀な人が多いなあと海外に旅に出ると余計に感じます。でも、他人と自分を比較してばかりで自分に自信をなくし、自分を見失ってしまうことが一番怖いことだと私は思っています。人は誰でも失敗をしますし、弱点もあります。でも自分ならではのものがあると思います。バックパッキングの旅というのはそういうものも見つけることが出来るのです。
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 少しアメリカのウィルダネス(=大自然、原野)の素晴らしさについて書かせてください。今回私が歩いた場所は、アメリカ政府が自然保護に力を入れている国立公園、国有林(森林公園)の中でも、特に厳しく入場を制限して保護しているウィルダネスエリアでした。日本でもヨーロッパでも「山」を歩くことは出来ますし、「森」も「湖」も「滝」などもあります。でも、アメリカのウィルダネスは、広大なエリアに岩山、谷、森、湖、滝、沢、岩、草原、湿原、雪渓、荒野、などなど、さまざまな自然が「面」としてあり、橋や小屋などの人工的なものは極力作らないようにされています。「山」はその広大なエリアにある一部なのです。私が今回歩いたジョン・ミューア・トレイルは総距離342kmあり、日本から名古屋ぐらいの距離です。日本でも野生のヒグマが棲む北海道の知床半島など、大自然を体感出来る場所がないわけではありませんが、いかんせんスケールが違います。ヨーロッパから来ていたバックパッカーも「ここ(ジョン・ミューア・トレイル)とヨーロッパは全然違う。ヨーロッパにはここより高い「山」もくさんある。だけど、山のふもとにはロッジや町があるんだ。アメリカのような広大なウィルダネスはないんだ。」と言っていました。

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今回私が旅したウィルダネスエリアでは、ロッククライミングやオートバイ・自転車も禁止されていたので、そこを旅することが許されているのはバックパックをかついだハイカーだけなのでした(馬で荷物を運ぶパックトレインや国立公園・森林公園職員も許されていますが彼らは仕事です)。ですので、ハイカーというのは、大自然の中を旅することを許された特別な存在でしたこれは日本とは環境が大きく異なります。日本だと登山とキャンプって基本的には別のジャンルとして楽しむものであり例えば登山中にたき火をすることなんて今ではほとんどありません(沢登りをやる人たちとか一部を除けば)し、橋がない沢を歩いて渡る登山道なんて聞いたことがありません。日本だとバックパッカー・縦走登山者というのはクライミングをする山男に比べると格下的なイメージがありますが、アメリカでいう「ハイキング」とは、大自然の中を野営しながら旅する行為であり、ハイカーだけが体験出来る世界がある誇らしいものなのです。まさに日本のボーイスカウトが「移動野営」と呼ぶ旅のスタイル(※)であり、ワンダーフォーゲル部の世界だなと思いま
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 ※ 日本のボーイスカウトが「移動野営」と呼ぶ行為には、バックパッキング、
   自転車旅行、カヌーやゴムボートによるリバーツーリングなど多岐に渡る
   スタイルが含まれています。
 
 私が大好きなシエラ・ネバダ山脈の自然の素晴らしさについても少し触れさせてください。まず快適に感じたのはとても乾燥していることでした。北米とはいえシアトルのように雨で有名な街もあるのですが、私が今回歩いたジョン・ミューア・トレイルでは雨もそれなりに降るものの(特に今年は例年より雨が多かったようです、ほとんどの雨はすぐにやんで強い日差しが戻りましたので、濡れた雨具もバックパックに吊るしておけばすぐに乾いてくれました。乾燥していると野営生活もとても快適なのです。湿気が高い日本の山を登る時、汗っかきの私はいつもタオルを頭に巻いて登るのですが、シエラでは帽子をかぶったまま登ることが出来、たまに脱ぐぐらいでした。中にはカウボーイハットをかぶって登っているアメリカ人ハイカーもいたりして、「そのカッコ良さずるいなあ」と思いました。美しい針葉樹林の森を歩いていると、まさに『スタンド・バイ・ミー』の世界だなと思いました。
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 ただ、大自然には厳しさもあります。私が歩いたエリアには野生のクマも生息していたため、数々のクマ対策は本当に厳重に行わねばなりませんでした(といっても人のためのルールではありません。それは食料を持ったハイカーを襲うクマだと殺さねばならないから、そうならぬようクマの保護のために決められたルールばかりです)。橋がかけられていない沢を横断する行為も場合によっては大変危険なもので、現に日本人ハイカーの女性が今年一人亡くなられています。沢を渡る時にはいつも緊張しましたし、反対方面からすれ違うハイカー同士で次に沢を渡る箇所はどこか、危険ではないか、などの情報をよく交換していました。陽射しもとても強かったったので日焼け止めをきちんと塗らずにやけど状態になっているハイカーもいたり、トイレがないので毎日野外で済まさなければならなかったり、大自然ならではの大変さには事欠きませんでした。
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 あと、旅の途中で日本の自然と何かが違うとずっと感じていました。静かなのです。ある日気がついたのですが、蝉が鳴いていないのです。おそらく標高が高かったからだと思います。すれ違う人たちが日本の山と比べて少なかったので余計に静かに感じました。ウィルダネスエリアでは登山口ごとに一日ごとの入場者数が数十人程度に制限されていますので、とてつもなく広大なエリアの規模に比べたら本当に少ない人数のハイカーだけが歩いていました。毎日歩いていて広大な大自然を独り占めしている気分でした。自然保護のためにそうされている訳で、とても贅沢な気分を味わえました。
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 今回の旅の隠された目的だった「日本のスカウトたちに移動野営をもっと楽しんでもらうにはどうしたらよいかヒントを探してくる」というテーマについても少しお話させてください。今回私は、アメリカのベテランハイカーたちの装備が私たち日本の山男のそれとはかなり違うことに気が付きました。まずバックパックの重さが違いました。日本で二週間を超える移動野営であれば、バックパックの重さが20kgを超えるのはおかしいことではありません。しかし今回出会ったベテランハイカーたちは15kgくらいの重さで歩いていました。驚異的な軽さです。私は実際に仲良くなったベテランハイカーたちから装備についてのレクチャーを受ける幸運を得ました。例えば「Tシャツ4枚も持っているのか?1枚でよい!(洗っている間は長袖シャツを着ればよい)」、「救急バッグの中身は良いが、バッグが重い!代わりにジップロックに入れろ!」と、こんな調子で兼用出来るものはとことん兼用し、軽く出来る努力は徹底的にやるのです。このようにグラム単位で重さを削る努力を積み重ねると、結果としてそれはキロ単位で自分のバックパックを軽くすることにつながります。

 そしてこの「バックパックを軽くする」ということこそ、日本で移動野営が好きなスカウトを増やすヒントになるのではと思ったのです。日本では、山を走るトレイルランニングやサバイバルレースのような競技者をのぞけば、バックパックを軽くするという議論は登山者の間で決して多いとは思えません。私自身もむしろいバックパックの重さを誇るぐらいで軽くしようという努力はあまりしませんでした。しかし、バックパックを軽くすることで移動野営が楽しくなり「自由」になることを
今回学びました。「軽さは正義」と言えるかも知れません。
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昔から移動野営を敬遠するスカウトたちは多い気がします。その理由を、日本で移動野営=登山=つらい、のイメージがあるからと仮定するならば、バックパックを軽くして楽しむやり方は解決策の一つになるかも知れません。とても大きな収穫だったと思っています。ただしこのテーマは必要なものを持っていかない不注意なハイカーを生む危険もあるものなので、自分なりにもう少し研究を進め、ぜひスカウトたちに伝えていきたいと思います。
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 私の旅行記を読んでアメリカのボーイスカウトたちとの出会いがほとんどなかったことに気付いた方がいるかも知れません。日本にジョン・ミューア・トレイルを広めた故・加藤則芳氏の著作『ジョン・ミューア・トレイルを歩く』で氏がたくさんのアメリカのスカウトたちと出会ったエピソードをうらやましく思い期待していた私でしたが、私が出会ったのはリーダーだったり、元スカウトの大人たちで、移動野営中のスカウトたちには会うことができませんでした。これはアメリカの学校は(地域差もあるでしょうが)カリフォルニアでは8月第三週から新学期が始まってしまうからだとアメリカ人に説明されましたが、私はそれだけではないんじゃないかなと思いました。なぜならスカウトではないアメリカの青年たちはたくさん来ていたからです。
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 アメリカはあまりにも舞台としての自然が素晴らしすぎるところです。ボーイスカウトというフィルターを通さなくても、ただ単に野営やハイキングをするだけでもレジャーとしても教育的にも満足が得られるでしょう。ただし、それに甘えて思考停止しソフトとしてのスカウト運動魅力を追求する姿勢がないならばボーイスカウトでなくても良いわけで、時代と共に衰退していく危険があると思います。私たち日本のリーダーは、普通の森を舞台にしつつもそこにボーイスカウトならではのソフトを加えることで冒険的で素晴らしい教育活動になるよう日々奮闘しているので、アメリカのあの素晴らしい自然にボーイスカウトのソフトが加わったら絶対に素晴らしい活動が出来るはずなので。個人的に子供の頃からアメリカのボーイスカウトハンドブックを読んで憧れ模範としてきましたが、アメリカのスカウティングってさすが一級の商業主義が栄えている国だけあって広告・宣伝はピカイチだけど、実際の現場でちゃんとスカウティングをやっているのか、最近では疑問に思っています。いつかアメリカ人にボーイスカウトの在り方、魅力を教えてあげていけなければいけない時代が来たりしてなんてことを思いましたただ、現役スカウトたちとは出会えなかったものの、リーダーやOBたちと出会えた時、この世界的な教育運動の素晴らしさをあらためて感じました。
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〜伝えたいこと〜
 最後に、私がお伝えしたいことを書かせていただきたいと思います。今回の旅で私が誇りに思っていることはアメリカの大自然を旅したことでありません。手前みそで恐縮ですが、「アメリカで移動野営をしたい」という思いつきを、ツアーなどに頼らずに自分の企画として形にしたことにあります。通常なら一年かけて準備するアドベンチャーを3-4ヶ月という短期間で実現出来たのは多くの人の支えがあったからこそでした。
 
 私たちは、何かをやりたいなとアイデアが思いついた時、まず世の中にそういうことをすでにやっているグループやイベントがないかを探すかと思います。それ自体は悪いこととは思いませんが、そればかりを志向・推奨する方向性には疑問を感じます。自分がやりたい内容に近いイベントが世にあれば、それに「参加」するのは簡単なことですが、自分のやりたいことがすでに世の中にあるとは限りませんし、仮に近いものがあったとしても、所詮は他人が作ったものですので本当に自分がやりたい内容と合うとは限らず我慢することが出てくるでしょう。でも、多くの人が「生みの苦しみ」を味わうことを敬遠し、既存のものに「参加」することで何となく満足してしまっていると思います。これは私が青年だった二十年ほど前から変わっていません。他人が作ったイベントに乗って参加しても達成感は得られるでしょう。でも自分で形にした場合は、それ以上のものが得られるのです。自分の想いを形にするのは難しく苦しいことですが、そういった創造力や行動力が価値あるものであるというのは、毎年新しい音楽や小説などの新しい芸術作品が次から次へと若者たちの手によって生み出され、世の中に出てきてくることが示しています
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 この世の中はいろいろなタイプの人たちがいて成り立っていますから、世の中すべての人に創造力や行動力を求める「やりすぎ」は慎まねばならないと思います。でも、教育運動としてのスカウティングとしては、青年世代の経験として自分のやりたいことを形にする経験をしてほしいなと願っています。例えば高校生年代のベンチャースカウトたちが挑戦した場合、最初は自分たちがやりたかったことを100%形にすることは出来ないかも知れませんが、そういう創造的行為を若いうちに経験しておくことは、大人になり自分でやりたいことを形にする時にとても役に立つと思います。実際今の私を作ったのはローバースカウト時代の経験ですから。ただし、誤解がないように申し上げたいのは、それは「プロセス」を経験させるという意味ではありません。変に頭でっかちの青年が育ってほしい訳ではありません。無知かも知れないけれど、自分がやりたかった想いを形にすべく取り組んだ青春時代の思い出により夢とロマンが育まれ、そういう状態で本当に自分のやりたいことを形に出来る社会という大海原に奮って臨んでほしいと願っているのです。


長々と長文失礼いたしました。本当に最後になりますが、この旅を実現するにあたりお世話になった多くの方々に心より御礼を申し上げます。

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(記:ボーイ隊副長 K)

(6) 「帰国へ」 9/12-15

9/12(火)
0615 Lone Pine(ローン・パイン)発のバスで1215 Reno(リノ)着。


バス停の横に地元のボーイスカウトのボーイ隊スカウトハウスがありました。
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1300 Reno(リノ)発のバスで1840 San Francisco(サンフランシスコ)という具合に乗り継いでサンフランシスコに到着。
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9/13(水)
日中はサンフランシスコ郊外のSan Leandro(サンリエンドロ)にあるボーイスカウト米国連盟ベイエリア支部のスカウトショップでお土産を購入。
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最高位のイーグルスカウト章を取得したスカウトたちを称えるパネル
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9/14(木)
0120 San Francisco(サンフランシスコ)発の飛行機で9/15(金)0550台北着。0850台北発の飛行機で1315成田空港着。
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■旅行期間      : 8/15-9/15 (32日間)
■移動野営期間: 8/17-9/11 (26日間)…野営23日間、舎営3日間
■移動野営距離: 342.08Km (213.8 mile)

以上
(ボーイ隊副長 K)

(5)「移動野営4」 9/7-11

9/7(木) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Independence(インディペンデンス)⇒Lower Vidette Meadow(ロゥワー・ビデット・メドウ)
0430起床。0615クロードと別れる。0645出発。

0705 写真中央の宿の主人の車でOnion Valley(オニオン・ヴァレー)登山口着。
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装備、食糧共にこれまでの経験を活かして限りなく無駄がなく、必要なものをそろえた状態となった。
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数日を共にしたクロードとはすっかり仲間だったので、強い喪失感にさいなまれながらも気持ちを強く持って移動野営を再開。
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行動食には、クッキーの他にエナジーバーを2本食べるようにした。日本の山と違い、こちらでは一日10時間近く歩くのでこれぐらいカロリーがないと歩けない。
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前日に下っていた時に「ここを登るのはしんどいな」と憂鬱(ゆううつ)だったが、少し前に見えるものを目標にして少しづつ登るやり方を身につけていたので、そのやり方でがむしゃらに無心で登ったらあっという間にJMTに登ることが出来た。人生も同じようなものなのかも知れないと思った。
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9年かけてJMTを登っているというグループに出会った。今回でフィナーレを迎えるとのこと。何かいい仲間だなと思った。イメージ 8

この谷の下が本日の野営地。目の前に見えるEast Vidette(イースト・ビデット)の鋭い峰がカッコいい。イメージ 9

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1500 この日の野営地・Lower Vidette Meadow(ロゥワー・ビデット・メドウ)着。最近クマが非常に活発に活動しているエリアとしてレンジャーが盛んに警告していたところなので、ついにクマに遭遇するかと少し期待をしてしまう。確かにクマが出そうな雰囲気があった。
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Pack train(パック・トレイン)の馬たちも近くで休憩していた。
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クマがよく出没するエリアにはこのようなベアボックスが設置してあった。この日は私もベアキャニスターと食器をボックスの中に入れて寝た。
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9/8(金) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Lower Vidette Meadow(ロゥワー・ビデット・メドウ)⇒Tyndal Frog Ponds(ティンダル・フロッグ・ポンド)
0600起床。0840出発。

バックパックに釣り竿をさしていたので話しかけたバリー。ロングトレイルを歩きながら、釣りもするらしい。日本のテンカラ竿も持っていて驚いた。コロラド出身なこともあり、弟はラフティングガイドをやっているとはさすが。
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これまであまりこのブログで触れてこなかったが、トレイル上にはこのように馬などの糞がたくさんころがっているので、踏まないように注意しなければいけない。たまにクマの糞があるとも言われているが、、、
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Forester Pass(フォレスター・パス)4,023m
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今年の4月末からPCT挑戦を続けているアメリカ人のポールとドイツ人のナターシャ。偶然同じ日にスタートしたということでとても仲良しの二人だった。ポールは日本のお遍路さんもやったと誇らしげに語ってくれた。
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フォレスター・パスを下ったあと、振り返る。中央のくぼみがパス。
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小動物マーモットを発見。のそのそとぬいぐるみのように動く可愛い生き物だった。
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フォレスター・パスを下ったあとは、強い強風だった。雨雲らしい雲が近づいてきていたので、野営地へ急いだ。
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これから北に向かうハイカーに対しクマの活発な動きを警告するパークレンジャーからの呼びかけを発見。残念ながら私がすでに通り過ぎてしまったエリアが対象、、、
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1900 この日の野営地・Tyndal Frog Ponds(ティンダル・フロッグ・ポンド)着。
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炊事しようという時に、すごい強風が吹き荒れたため、三本の大木の木陰に絶妙なシェルターを作ってここで炊事をした。
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9/9(土) 
◆天気:晴れ ときどき くもり 
◆行程:Tyndal Frog Ponds(ティンダル・フロッグ・ポンド)⇒Guitar Lake(ギター湖)
0605起床。室内気温5℃。0825出発。

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途中で出会ったハイカーから、重いので貰って欲しいとチーズをいただいた。
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日本からアルパインツアーで来ている方々にお会いした。雪のためにホイットニー山を断念されたとのことで気の毒だった。私は三週間ぶりに日本語が話せてとてもうれしかった。
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韓国の青年二人。南からJMTを歩き始めたばかりゆえ、装備や服がまだピカピカ。かつての自分を思い出した。
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1530 この日の野営地・Guitar Lake(ギター湖)着。
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写真中央あたりにテント(グリーン)を設営した。
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設営後は、水を汲み、浄水器でろ過し、スポーツドリンクを作った。設営後の楽しみだった。
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いやな雲が近づいていたため、炊事を急いでいたが、、、
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突然、雹が降り、やがてそれは雨に変わった。
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貴重な防寒具でもあるレインウェアがびしょ濡れだったため、テント内にロープを張り、暖かくして乾燥させた。

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9/10(日) 
◆天気:晴れ ときどき くもり 
◆行程:Guitar Lake(ギター湖)⇒Mt. Whitney(ホイットニー山)⇒Outpost camp(アウトポスト・キャンプ)
0530起床。とても寒い。室内温度5℃。0615朝食を済ませた後、寝袋にくるまり温かくなるのを待つ。
0815出発。

雪が凍っている状態を避けるため、あえて少し遅めの出発とした。
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JMT最高の峠・Trail Qrest(トレイル・クレスト)4,145m
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この先、雷は極めて危険なため、発生した場合には速やかにそのエリアから脱出することと書いてある。
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JMTの南の端であるMt. Whitney(ホイットニー山)4,418m。アラスカ州を除く全米最高峰。
移動野営を開始してから25日目。自分はここまで来れないのではないかと何度も思った。
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一緒に山を下ったロシア人のバシリー。とても足が速い青年だった。
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1755 この日の野営地・Outpost camp(アウトポスト・キャンプ)着。
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9/11(月) 
◆天気:晴れ ときどき 雨 
◆行程:Outpost camp(アウトポスト・キャンプ)⇒Lower Boy Scout Lake(ロゥワー・ボーイスカウト・レイク)⇒Whitney Portal(ホイットニー・ポータル)⇒Lone Pine(ローン・パイン)
0610起床。0740出発。

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ホイットニー山エリア周辺では、挨拶をしないハイカーがたまにいたり、ゴミが目立つようになってきた。スカウトとして無視してはいかんなと、ゴミ拾いを始めた。
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JMT達成をすごく祝ってくれたハイカー夫婦。イメージ 64

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標識も何もないが、この沢の脇から延びる道こそ、Lower Boyscout Lake(ロゥワー・ボーイスカウト・レイク)に繋がる道のはずだった。意を決してトレイルから外れるこの道を上がった。


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どうやら、この谷を上り詰めた先が目的地のようだった。
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クライマー二人と出会った。ホイットニー山東壁を登ってきたと誇らしげに写真を見せてくれた。この谷からホイットニー山が見えることも教えてくれた。
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谷の向こう、奥に見えるのがホイットニー山。こちら側から見た方が鋭くてカッコいいことが分かる。
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Lower Boy Scout Lake(ロゥワー・ボーイスカウト・レイク)。なかなか苦戦した割には小さい湖で拍子抜けした。上流に行くと”Upper〜”というもう一つのボーイスカウト・レイクがあるようだ。
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下りはどしゃぶりの雨となった。沢を渡る道がいくつもあり、元来たトレイルがわからなくなった。雨ですべり、沢の中へ両足の靴ともに落ちてびしょびしょになってしまった。とりあえず、雨をしのげる木陰を見つけて落ち着いて雨具を着、水と行動食を取り、気を取り直して行動したら無事にトレイルを発見することが出来た。
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1443 また元の分岐路へ。
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1540 私の移動野営の目的地・Whitney Portal(ホイットニー・ポータル)着。
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売店でお土産を買った後、私はふもとの街のLone Pine(ローンパイン)までヒッチハイクする必要があった。最初全然止まってくれなかったので、行き先を書いた紙をかかげたら、一発で止まってくれた。
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私を乗せてくれた国立公園職員のハンナとエリック。とても優しくて話好きないい人たちだった。
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予約していた宿にチェックインすると、まずシャワーを浴びてサッパリした。そのあとは、コインランドリーに行って洗濯、そのあとはスーパーに行って買い物をした。。。
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つづく
(記:ボーイ隊副長 K)

(4)「移動野営3」 8/28-9/6

8/28(月) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Vermilion Valley Resort(ヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート)⇒Bear Creek(ベア・クリーク)
0500起床。0915フェリー乗船。

フェリー第二便を待つ間、残ったハイカーみなでバックパックの重さを計った。私のバックパックは昨日8 pounds(約3.6Kg)減らし、補給した9日分の食料を詰めたあと、40 pounds(約18.2Kg)だった。移動野営開始当時は30kg近い重さだったのに比べると雲泥の差で、以後私はこの重さを一つの目安として維持するようにした。
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レクチャーしてくれたベテランハイカーの一人と。彼は息子さんと二人で旅をしていた。日本では見かけない光景だが、アメリカではお父さんと息子や、お母さんと娘など親子で旅している光景はよく見かけた。
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クライマーのエリック。もう60歳台というのにとてもタフだった。
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そして、前日乗船した地点へ上陸し、トレイルを再開。
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行動食に、ハイカーボックスから頂いたTrail mix(トレイルミックス)を食べた。これはナッツ類、乾燥果物、チョコなどを混ぜて自分で作れるものだが、アメリカではスーパーでこのまま売っている場合がある。私はこれがとても好きだったが、少々重いのが難点だった。
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1633 この日の野営地・Bear Creekに到着。とてもきれいな沢だった。
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VVRでは忙しくてシャワーを浴びそびれたため、沢で頭・身体を洗った。5日ぶりのお風呂!
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食後、別ルートで歩いてきたダンとダイアンが到着。実は私のテントの横の大き目のサイトは彼らにとっておいていた。彼らは疲弊しきっていたので、テントの設営を手伝う。夜は遅れまくっているスケジュールを見直し、何パターンもの行程表を作成した。


8/29(火) 
◆天気:くもり 
◆行程:Bear Creek(ベア・クリーク)⇒Muir Trail Ranch(ミューア・トレイル・ランチ)近く
0534起床。VVRで目覚ましを削ってしまったのでこの日から自然と起きる生活。0835出発。

出発前の光景。ダンが撤営する中、ダイアンがウクレレをひいている。のどかな光景だった。
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この日はダイアン・ダンと行動を共にし、一日中おしゃべりをして歩いた。

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この日はとても渡渉(沢を渡る)が多く、ダイアンが渡渉風景を撮ってくれた。

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Selden Pass(セルデン・パス)3,313m。私は予定が遅れていることを宿に連絡したかったが、残念ながら電波なし。どうやら予定になかったミューア・トレイル・ランチに行く必要があるようだった…

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Heart Lake(ハート湖)。その名の通りハートの形をしていた。

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途中の湖で野営予定のダン・ダイアンと別れ、私は先を急いだ。
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この谷を下ったところにMTR(ミューア・トレイル・ランチ)があった。
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1950 Muir Trail Ranch(ミューア・トレイル・ランチ)着。ランチとは牧場のこと。実際ここにはたくさんの馬がいた。既に営業時間が過ぎていたが、スタッフの人に頼みこんでインターネットを使わせてもらい、宿にメールを送った。夜は近くの沢周辺で野営した。

8/30(水) 
◆天気:くもり 
◆行程:Muir Trail Ranch(ミューア・トレイル・ランチ)近く⇒Evolution Meadow(エヴォルーション・メドウ)
0545起床。そろそろ誰かからUSBコネクタを借りて携帯電話を充電しない電源がなくなってしまう状態だった。よく考えた末、MTRに行って借りることにした。

Muir Trail Ranch(ミューア・トレイル・ランチ)
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Hiker BOX(ハイカーボックス)がずらり。私は結局ここに5時間ねばり、色々なハイカーから電源コードを借りて携帯電話の充電をすることにした…。
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ハイカーボックスの中には、例えばこのようにたくさんのものが入っていて、自由にもらって良い。
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私は、ハイカーボックスに入っていたビーフシチュー・ビーフストロガノフ・タイラーメンと自分のパスタを3袋交換した。私のパスタは1袋2食分だったので、等価交換になっておらず食糧不足になってしまうことに気が付いたのはだいぶ後だった…
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ハイカーの多くはこのMTRに食糧などを送って補給していた。
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優しかったスタッフの人たち。私は売店でお土産の他にようやく風邪薬を買うことが出来た。
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電源コードを貸してくれたJMTハイカーのダン(右側)とマイク
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同じく電源コードを貸してくれたPCTハイカーのジョニー(左)とジェシー
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姉妹で旅するダイアン(66歳)とリンダ(65歳)。二人とも若かった!
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前日野営地のサイトが隣だったジュリアとジェニーヴァ。こんな調子で、5時間ここに滞在している間にたくさんの友達を作ることが出来た。
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1408 携帯電話の充電が95%を超えたため、ついに出発。
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2000 野営地・Evolution Meadow(エヴォルーション・メドウ)手前に到着。渡渉すれば目的地だったが、時間が遅く、何と”パパベア”が野営していたのでこの日はここで野営することにし、”パパベア”と語り合った。
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8/31(木) 
◆天気:くもり 
◆行程:Evolution Meadow(エヴォルーション・メドウ)手前⇒Wanda Lake(ワンダ湖)
0630起床。0830出発。

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VVRでレクチャーしてくれたベテランハイカーの一人マークと。彼には後ほど助けられることになる…
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ここで初めて石の上で足をすべらせ水に落ちた。
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1900 この日の野営地・Wanda Lake(ワンダ湖)着。約3,500mの高所なため、風が非常に強く炊事に苦労したほか、朝夕の冷え込みがすごかった。夜、この日の昼にVVRでハイカーボックスからの食糧と自分の食糧の差し替えをやった際に計算ミスで食糧が大幅に不足してしまったことを発見。同じ野営地で野営していたマークが二食分の食料を私にくれた。食糧計画の見直しを行った。
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9/1(金) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Wanda Lake(ワンダ湖)⇒Le Conte
0600起床。あまりの寒さに絶句。風強し。意を決してテントの外に出る。あまりに風が強いので、テントのひさしの下で炊事を行うも、誤ってコッフェル(鍋)をひっくり返してしまった。

この日の朝食。明太子パスタに激辛スープをぶっかけたもの。寒いので身体が温まった。
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マークのテント。タープにネットで出来た本体がくっついていて、トレッキングポール二本を使って立てるもの。とても軽そうだった。
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前日水の中に落ちて靴が濡れてしまっていたので、食後は寝袋にくるまり、太陽が出て暖かくなるのを待った。0940出発。
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この日私は、飯をきちんと食べていないことから来る疲れ(シャリバテ)を感じていた。このままではまずい、何とかせねばと思い、食糧が余っていないか話しかけたら分けてくれた青年。
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Muir Pass(ミューア・パス)3,644mにて。「誰か食糧余ってませんか?あったらもらいますよ!」とハイカーたちに話かけたら、「あるある!」と減らしたかったらしい重いエナジーバーをたくさんくれたロンドンから来ていたアビーとソフィー。実はこの時、昼に食べる行動食が不足していたため、とてもありがたかった。ちなみに後ろに見えるのはMuir Hat(ミューア・ハット)という大変古い小屋で、JMTの象徴的な建物。
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アメリカ人ハイカーのジェイソンと。彼は日本の東海自然歩道(東京〜大阪を結ぶ自然歩道)を58日間かけて歩いたと誇らしげに語ってくれた。
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MTRで買った風邪薬もすぐにきかず、この頃の私は止まらない鼻水や痰に苦しんでいた。空気が薄いこともあってか、常に呼吸が苦しかった。
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”JMT Monster(JMTモンスター)”と呼ばれる巨大岩
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1800 この日の野営地Le Conte(ル・コン)着。携帯の充電をする必要があったので、レンジャーステーションに行ったがだめだった。誰かからUSBコネクタを借りる必要があり、その貸してくれる人物がいるところで野営する必要があった。二番目に声をかけた相手がOKと言ってくれ、私は彼と共に野営することになった。彼の名はクロードといいい、スイス人ハイカーだった。後にとても仲良くなる彼との初めての出会いだった…。前日の野営地と比べ風もなく寒くもなく快適な野営地だった。
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9/2(土) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Le Conte(ル・コン)⇒Palisade Lakes(パリセード・レイクス)
0630起床。0835出発。

出発準備をしていたら、キャンプサイトにたくさんの鹿が。
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トレッキングシューズの紐を止める金具が壊れてしまった。これにより皮が骨に当たってとても痛く、結局最終日まで絆創膏を貼ってしのぐことになった。
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ウィルダネス・レンジャーのエレン。彼女がゴミ拾いをしていたので労をねぎらい、私も出来るだけ拾うようにしていると言うと褒めてくれた。「”Leave no trace”だよね!僕たちスカウティングでは、”Leave no trace but appreciation”(痕跡は残さない、感謝だけ残す)って教えてるんだ」と教えてあげたら、「それ、いいわね!私も今度使わせてもらうわ」と言ってくれた。
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この日の行動食。
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1645 この日の野営地・Palisade Lakes(パリセード・レイクス)着。
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とても暑い日だったので、すっかり仲良しになったクロードとまずは湖に飛び込み汗を流す。
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ちなみに、トイレしたい時は離れた場所にある写真のような木の陰に行った。
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9/3(日) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Palisade Lakes(パリセード・レイクス)⇒Bench Lake(ベンチ・レイク)
0600起床。0800出発。

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Mather Pass(マーサー・パス)3,682m
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アメリカンな恰好が似合っていたベティ。
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1700 この日の野営地Bench Lake(ベンチ・レイク)そば。仲良くなったハイカーたちがみな先へ行こうとしたが、私は足が悪いクロードを待ちここで野営することにした。ここもかなりの強風だったら、これより先で野営していたら吹きさらしの野営地しかなく、私たちはラッキーだった。
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9/4(月) 
◆天気:晴れ 
◆行程:・Bench Lake(ベンチ・レイク)⇒Woods Creek(ウッズ・クリーク)
0540起床。0745出発。

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Pinchot Pass(ピンショット・パス)3,688mにてクロードと。
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1630 この日の野営地・Woods Creek(ウッズ・クリーク)着。
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少し心に余裕が出てきたためか、この日はJMTに来て初めて自分でたき火をしたくなった。
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9/5(火) 
◆天気:晴れ のち くもり 時々 雨
◆行程:・Woods Creek(ウッズ・クリーク)⇒Rae Lakes(レイ・レイクス)
0530起床。0745出発。

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1250 Rae Lakes(レイ・レイクス)着。私は元々、この先まで行く予定だったが、ここで早めに野営しのんびりするんだというクロードの姿勢に影響され、この日の野営地に決定。
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この日は、洗濯をしたりした他、テントの中でのんびりと考えにふけるという、本当は一番やろうと思っていたのに出来ていなかったことをやった。
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9/6(水) 
◆天気:くもり のち 雨 
◆行程:・Rae Lakes(レイ・レイクス)⇒Independence(インディペンデンス)
0430起床。0630出発。この日は絶対に宿に着かねばという強い気持ちがあった為、早起きして早めの出発となった。クロードとは宿で会おうと約束。

この日越えるGlenn Pass(グレン・パス)はあの山の向こうにあった。
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峠の下で出会った青年オットー。PCTハイカーだということで元気をもらった。
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オットー青年の話から、なぜかすぐそこだろうと思い込んでいたグレン・パス、何ともう一個別の山の頂上だと知り衝撃を受ける!
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Glenn Pass(グレン・パス)3,652m
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MTRで出会ったリンダとダイアン
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この分岐からJMTをいったん外れ、Keasarge Pass Trail(キアサージ・パス・トレイル)というトレイルを通って下山しインディペンデンスの町へ向かう。
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BSAのネッカチーフを持って歩いていたので話しかけた元スカウトの二人。写真右のジャルマーは元イーグルスカウトで、日本で開催された世界ジャンボリーにも行ったそう。そのネッカチーフを誇らしげに見せてくれた。ちなみに、真ん中のすごく性格よさそうな彼は元2級だそうで、話が盛り上がった。
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1620 登山口のOnion Valley(オニオン・ヴァレー)着。ヒッチハイクをしようと粘っていたが、いっこうにつかまらないため、仲良くなったアンジェリーとクリスチャンの仲間から携帯電話を借り、宿の人に電話し迎えて来てもらった。
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最後の補給地Independence(インディペンデンス)は、砂漠の中にある人口500人の小さな町だった。すぐ横にインディアンの居留地があるとのこと。
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宿泊した宿Inpendence Inn(インディペンデンス・イン)。クロードとルームシェアして部屋代を安く済ませた。
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まず久々の熱いシャワーを浴びてさっぱりし後、日本から送った補給物資を受け取り、足りない食糧を近所のガソリンスタンドの売店で買い出した。
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夜は、この日で最後となりスイスに帰ってしまうクロードと旅の思い出を振り返り合った…。

つづく
(記:ボーイ隊副長 K)


(3)「移動野営2」 8/2427

8/24(木) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Mammoth Lakes(マンモス・レイクス)⇒Deer Creek(ディアー・クリーク)
前日からどうも風邪気味。実は宿にいた風邪を引いていたおばあさんに話し相手になってあげたり、薬やおかしをあげたりしていた際にうつってしまったようだ…。持っていた風邪薬はほとんどあげてしまったし、移動野営再開の日に少し不安になる。

前日スーパーで買ったベーグルとチリビーンズの朝食を楽しむ。
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旅立つ前に仲間と。中央がマラソンランナーのリコ、左がPCT挑戦中のハイカー”パパホミ”。”パパホミ”からは前の晩にこれから私が下る南のルートについてや、長距離ハイクのイロハについて教えてもらった。
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再びバスを乗り継いでReads Meadow(レッズ・メドウ)にあるJMTの登山口へ戻る。
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登山口にある様々な注意書き。
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右側に、”Leave no trace(リーブ・ノー・トレース。跡をなにも残さない)”について詳しく書いてある。これはスカウトハンドブックでアウトドア・コード(野外生活のおきて)のところで紹介されている言葉で、ベーデン・パウエルが言った「何も残さない。感謝を除いては」と同じ意味です。
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トレイルでは、荷物を軽くしたおかげでスイスイ歩けたが、日かげがなく暑い。写真は大規模な山火事の跡。
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巨大なPinecone(松ぼっくり)
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アラスカのフェアバンクスから来た元ボーイ隊長のダンとダイアン夫婦。彼らとはこの後、とても親しくなった。
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1500 この日の野営地・Deer Creek(ディア・クリーク)着。スイスイ歩けたせいで早めに到着出来たため、のんびりとした時間を楽しんだ。
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夕食後、近くで野営していたダンがキャンプファイヤ(たき火)を一緒にやろうと誘ってくれた。プラスチック製のウクレレをひきながらダイアンが「エーデルワイス」「カントリーロード」を歌ってくれ、とても心にしみた。お礼にと、日本のスカウトソングや山の歌を歌ってあげた。
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8/25(金) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Deer Creek(ディアー・クリーク)⇒Tully Hole(タリー・ホール)
0527起床。0746出発。風邪が悪化し始めていた。

途中、歩いていると道で何かを探している人がいた。一緒に探してあげ、バックパックの留め具を見つけたらとても感謝された。サムという中国系アメリカ人で生物学者。私はのちに彼に救われることになる…。
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Pack Train(パック・トレイン)と呼ばれる馬で荷物を運ぶ業者。日本の山道と違い、JMTは馬が歩けるようになっている。
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1730 この日の野営地・Tully Hole(タリー・ホール)着。蚊がうようよいる蚊の巣窟で、初めてバグネットを頭からかぶった。夜、携帯電話を充電しようとした時、マンモスレイクスから日本へ間違ってUSBコネクタも送ってしまったことに気が付く。電池パックがあるのに充電できず。激しい自己嫌悪に陥った…。
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8/26(土) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Tully Hole(タリー・ホール)⇒Silver Pass Creek(シルヴァー・パス・クリーク)
0637起床。0905出発。ひさびさにたっぷり8〜9時間寝ることが出来た。朝から、USBコネクタを忘れたこと、今後どうしようか頭が一杯であった。とりあえず携帯の電源をオフにし、非常に重要な場所でのみ写真を撮ることにした。

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Silver Pass(シルヴァー・パス)3,322m。
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途中、出会ったハイカーに「トレイルを歩いているハイカーで、アンドロイド携帯のUSBコネクタを持っている人っていると思う?」と聞いたら、持っているから貸してあげるよと言ってくれた。青年の優しさに感動。
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1630 この日の野営地・Silver Pass Creek(シルヴァー・パス・クリーク)着。ケヴィンからUSBコネクタを借り、携帯を充電。ひとまず救われたが、この先どうすべきか不安が残った…。
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8/27(日) 
◆天気:晴れ 
◆行程:Silver Pass Creek(シルヴァー・パス・クリーク)⇒Vermilion Valley Resort(ヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート)
0458起床。0730出発。

朝食は、ペンネ(パスタ)と味噌汁。
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行動食に取り入れていたビーフジャーキー。軽くてよい。日本から持参・送付した魚肉ソーセージは非常に重いため、途中から使うのをやめることにしていた。
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1125 Lake Edison(エジソン湖)着。ここから船に乗って湖の奥にあるVermilion Valley Resort(ヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート)という補給地へ行くのだが、船が午前と午後それぞれ一便しかないことを発見する。夕方の便まで4時間近くのんびり待つことに。
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夕方、ついに船が到着し乗船。
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乗客はみなハイカー。VVRで補給や休息をしにいく目的。
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Vermilion Valley Resort(ヴァーミリオン・ヴァレー・リゾート)
ここでハイカーたちは、レストランでの温かい食事や売店での買い物を楽しんだり、私のように事前に送った補給物資で”Resupply(補給)”をした。
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売店
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キャンプサイト
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私はここで”パパベア”と再会し、彼をはじめとするベテランハイカーたちから「ニックはバックパックが重すぎる!俺たちが見てあげるから装備を並べてみな!」と言われ、持っていくべき装備と削れる装備の徹底レクチャーを受けた。例えば、「Tシャツは一枚だけでいい!洗っている間は長袖シャツを着ろ!」とか、「救急バッグの中身はOKだがバッグが重い。ジップロックに入れろ!」、「メガネケースは不要だ!ジップロックに入れろ!」という具合にグラム単位で重さを削っていった。
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削れる装備を計ったら8 pound(約3.6kg)あり、私はこれらをここからサンフランシスコの宿に送った。
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減らしたあとの必要最低限の装備一覧。だいぶ少なくなっている。
これ以上やるならば、20〜30年使っている古くて重い寝袋・フリース・シエラカップなどは軽くて小さいものにすることが出来るし、テントも日本でトップクラスに軽い1.61Kgの山岳テントを持ってきたが、このシエラの地を歩くなら山岳テントでなくてもよく、ツエルトやタープをうまく使う形にすればさらに軽く出来るだろう。

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日本から送っていた補給物資も無事に受け取ることが出来たが、全てを持っていくと重くなってしまうので、夜遅くまで「何を持って行く・持っていかない」の作業を行った…。
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つづく
(記:ボーイ隊副長 K)


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