郷土の偉人の足跡を辿って

2月にベネルクス3国へ行きましたが、ブログ移転先が決まらないため、旅行記の投稿が遅れています。

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九州の吉備真備のゆかりの地へ ・・・ 
 
正しくは、吉備真備が赴任していた大宰府のゆかり地へ ・・・
 
ということで、3日目はまず基肄城(きいじょう)跡へ行きました。
 
佐賀県三養基郡(みやきぐん)基山町(きやまちょう)
 
イメージ 1
 
地図の右上、福岡県筑紫野(ちくしの)市との境に位置する基山(きざん)に築かれた山城です。
 
 
イメージ 2
 
基肄城跡は国の特別史跡に指定されています。
 
 
イメージ 8
 
朝鮮半島では、唐と新羅(しらぎ)が連合して、660年に百済(くだら)を滅ぼしました。
百済と友好関係にあった日本は、百済の再興を支援するため、大量の援軍を朝鮮半島に送りました。
しかし、663(天智二)年に日本軍は唐・新羅(しらぎ)の連合軍と百済(くだら)の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)で戦って大敗しました。
(白村江の戦い)
 
この敗戦による危機感のもとに、さまざまな防衛策が講じられました。
 
664年には、対馬・壱岐・筑紫国に防人(さきもり)烽(とぶひ)を置き、大宰府を守る位置に水城(みずき)を築きました。
 
665年に、百済からの亡命貴族たちの指導の下に、大宰府の北・南を守る大野城、基肄城が築かれました。
 
このほか、九州から近畿にかけて、古代朝鮮式山城が点々と築かれています。
 
山口県の長門城(ながとのき)、岡山県の鬼ノ城(きのじょう)、香川県の屋島城(やしまじょう)、奈良県の高安城(たかやすじょう)
 
しかし、唐・新羅連合軍が日本へ侵攻することはなく、日本の危機はなくなった。
 
 
イメージ 9
草スキー場になっていました。
これから山頂まで登ります。
 
イメージ 10
 
山頂にある基肄城跡の石碑です。
 
 
イメージ 3
 
大野城とともに、今から1300年以上前に築かれた、日本最古の山城です。
 
 
イメージ 4
 
祠がありました。何が祀ってあるのかな?
 
イメージ 5
天智天皇欽仰之碑です。昭和7年基山小学校生徒の奉仕により建立したそうです。
 
イメージ 7
延々と続く土塁。かなり整備されていました。
 
 
イメージ 6
山頂から車を撮影・・・あそこから登ってきました。
 
滑って転んで、これ以上けがをしないよう、注意しながらゆっくりと降りました。
 
   −−− 大宰府政庁跡 へつづく −−−
 
 
 
 
 
 
 
 

閉じる コメント(2)

へ〜〜!
岡山は総社にある、「鬼ノ城」もその一つだったんですね。

2012/3/28(水) 午後 6:31 なお(^^ゞ 返信する

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こんばんわ なおさん
じっくり読んでいただいてありがとうございます。
そうなんです・・・
鬼ノ城は唐・新羅連合軍の侵攻に備えて築かれた古代朝鮮式山城なんですよ。

2012/3/28(水) 午後 8:42 [ 井原から世界へ ] 返信する

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