|
日本語に『水に流す』という表現がある。意味は、「過去のいきさつを、一切なかったことにして咎めない。」といったところだ。
――――――――――
七夕の笹に願い事を書いた短冊を吊るす。幼稚園に通っている4歳の息子は、「飛行機に乗りたいな」とか、「大きくなったら電車の運転手になりたい」と書かれていた。願い事がなんとも慎ましやかで可愛らしく微笑ましい。
そう言えば、私が幼稚園の頃は、願い事を書いた短冊の付いた笹を、近くの川へ行き、流したものだった。川に流して最終的に海に届き、さらに神様へと短冊が到達するのであろうか?論理に若干飛躍を感じるが、幼稚園児には意外にスッキリ納得したような気がした。
しかし最近は環境汚染につながるとして、川に笹を流すことは禁止されている。風習も時代によって変化するのだ。
仮に大人が短冊に願い事を書いてもいいとすると、「お金持ちになれますように。」とか、「彼氏(彼女)ができますように」とかもっともっと現実的で生々しい願いばかりになることであろう。
その笹はまさに『おぞましい欲望と煩悩の塊』と化す。それが全て川を経由して海いと届き、海は、やがて壮大な『欲望と煩悩の塊』の吹き溜まる場所となる。
そんな光景を想像するだけで恐ろしいが、海には人間の欲望や煩悩さえも浄化する作用があると仮定できれば、少しは納得できる。
――――――――――
長崎の伝統行事・精霊流しも「精霊船」を川や海に流す。
先祖の霊が帰って来るとされるお盆の時期に、この一年に亡くなった人の霊を、お供え物や灯籠を精霊船に乗せて、川や海に流すことで送り出し、海の彼方にあるとされる西方浄土へと霊を送るのだ。
願い事を願ったり、死者の霊の成仏を願ったりと、多くの人が、水に浮かべて流す。
――――――――――
8年前、フランス・ワールドカップの日本代表の攻撃の中心であったFW・城が、帰国した時成田空港で水をかけられる事件があった。
水をかけた人の言い分は、シュートを外してもガムを噛みながらニヤニヤと意味不明の笑いを浮かべたことに、腹が立ったようだった。
今年のワールドカップで惨敗した日本代表も、成田へ帰国する際、8年前の水かけ事件が再発しないように物々しい警備態勢になったそうだ。結局、幸い何事も起こらず内心ホッとした。
8年前の水かけ事件の物が物だけに、『水に流した』といったところであろうか?
|