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・ なぜ「どういう経路で」に変更されたのか?
「市川崑劇場・木枯し紋次郎」のエンディングで、じわ〜〜っと余韻が残る非常に印象的な、かつ有名な芥川隆行のナレーション「天涯孤独な紋次郎が、なぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」のフレーズ。第2部では、その「なぜ」が「どういう経路で」へと変更されています。なぜ?どういう経路で変更されたのでしょうか?ここで少し考察してみたいと思います。
まず、紋次郎が「なぜ」無宿渡世の世界に入ったのか? それは、「その時代の貧しい農家の間引きぞこないの男の子が、家出して一人で生き延びていくためには、渡世人になるしか他に方法がないから。」と答えは誰にでも容易に考えられます。
しかし、ここでの「なぜ」は、実は「どういう経路で」という意味合いで「なぜ」を使っているのだということも容易に予想出来ます。
でも第1部でどうしてあえて「なぜ」にしたのでしょうか?「どういう経路で」だと「経路」という言葉が現代的であまりにも堅苦しさのある言葉だから、時代劇のナレーションにはそぐわない。と考えられたからではないでしょうか?
しかし、「なぜ」は、実は「どういう経路で」という意味合いで使っているから、どうもまどろっこしい。そこで、第2部では、いっそのこと「どういう経路で」とそのままの意味のストレートな表現に切り替えた。と考えられるじゃないかと考えられます。
実は第2部でも全てが「どういう経路で」で統一されているのではなく、第2部最終回「上州新田郡三日月村」では、なぜか「なぜ」に戻っています。(その話だけ演出監修として市川崑がクレジットされているから、もしかしたら市川崑の要望なのかもしれません。)
・ じゃあ、どういう経路で?
紋次郎は、渡世人のマナーやルール、徒場でのルールなどに対して、愚直なまでに頑なに厳格に遵守しています。ということは、どこかの親分のもとでみっちりと渡世人としてのルールや躾を、叩き込まれてきた人間であると予想できます。
それを踏まえた上て、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったのか?と聞かれれば、「十歳の時に家出」→「浮浪児になる」→「どこかの親分のもとで三下の渡世人となる」→「その一家を何かの理由で飛び出して無宿渡世人となる」と大まかな流れまでは、想像できます。(それは、あくまでも想像の範囲ですが・・・。)
しかし、それでも「どの親分」と「一家を飛び出した理由」は、依然わかりません。つまり「定かでない」のです。
原作者である笹沢左保は、主人公の生い立ちに、ある程度不明な部分を残しておいて、ミステリアスな部分のまま残しておけば、主人公に対する好奇心を持続して持ち続けられると考え、あえて「定かでない」としたままにしておいたのかもしれません。
今、まさに僕がしているように、ファンが、ああだ、こうだと紋次郎への思いを、めぐらせることも、それの副産物ですね。
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カミヤッカーさんのおっしゃる通り、私もご多分にもれず、10歳以降の紋次郎を妄想して、拙ブログの記事にまでしてしまいました。
(記事名「紋次郎の少年期」)
私もカミヤッカーさんのご指摘通りの経路で、無宿渡世の道に足を踏み入れたんだと思います。
青年期の紋次郎兄貴にも、会ってみてぇモンだと思っておりやす。
2009/9/7(月) 午後 8:22 [ お夕 ]
今「紋次郎の少年期」を読んできました。
素晴らしい。なるほど!合点がいきました。完全に同意いたします。
2009/9/7(月) 午後 9:46
カミヤッカーさま。
もったいねえお言葉、痛み入りやす。
今後とも、よろしゅうお願ぇいたしやす。
2009/9/8(火) 午前 0:55 [ お夕 ]
カミヤッカーさま、炯眼ですね。全然気づきませんでした。市川さんは「なぜ」の方がお好きなようですが、私は「どういう経路で」の方が好きですね。東洋史学科にいた時はさぼって漢文なんか全然読まなかったんですが、生理的に漢語調が好きですね。
2009/11/18(水) 午前 11:56 [ 八朔 ]
「・・・定かでない」というエンディングのナレーションは、見終わった余韻を高める効果をもたらすという理由であると考えていますが、
「どういう経路で」だと、現代語っぽくて少し硬いですよね。
2009/11/18(水) 午後 2:06