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2006年の岩井俊二監督作品「市川崑物語」DVDで鑑賞しました。
市川崑の人生を、写真と作品の映像の断片で、ナレーションなしの明朝体の字幕で延々82分綴っている。
感想はというと、「内容的には興味深く面白い」「ただ字幕がうざい。正直、82分間字幕を読み続けるのに疲れた。」(新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH を見た印象に近いです。)
市川崑=明朝体の活字 という象徴的なイメージとして使用していることは、よく理解できるが、それが映画全編で延々と、しかも非常に短いセンテンスで繰り返されます。映画とは、エンタテイメントであるから、見せる側の理由・論理・自己満足の表面的な演出効果ではなく、観客・見る側の気持ち・立場をもっと考えて、汲んであげないといけないだろう。それは、オリンピックの記録映画をただの「記録」として編集するのか?否か?ということにも通じることのようにも思う。
あともう一つ、それまでずっと市川崑の一人称の言葉で語られていた字幕が、突然、犬神家の一族との出会いを語るくだりや、市川崑と初めての出会いの場面では、なぜか何の告知もなく唐突に岩井監督の一人称の言葉に切り替わっていて、著しく混乱をきたす。市川崑の一人称としてどっぷり映画の世界に浸っているのに、岩井監督の一人称に切り替わり、その世界から引き剥がされる。そしてまた市川崑の一人称に戻り・・・、 その切り替えが何度も発生していて、見る側にとっては非常に切り替えづらく、内容以前に、その不快感の印象が強く残る。
その岩井監督の市川崑とへの思いのたけを語る言葉も、岩井俊二ファンなら楽しめるかもしれないけど、市川崑ファンにはどうでもいいという感じはぬぐえない。悪い箇所が、良い箇所を消してしまうような感じがする。岩井監督には、それこそ和田夏十さんのような冷静な目で良くない箇所を指摘してくれる脚本家がいれば、もっと良い作品に仕上がったと思う。
岩井監督は市川崑の「犬神家の一族」から映像テクニックの多くを学んだそうだが、最も重要なことを読み取っていないようだ。それは、市川崑のストーリーテリングの巧さだ。
面白い箇所、興味深い内容も数多くあったのですが、鑑賞するのにひどく疲れたので、今回は悪口を中心に書きました。
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