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オープニングタイトルで、一つ言い忘れていたことがありました。
一般的に時代劇ドラマの特徴として、現代の風景に江戸時代の風景が残っていないため、広い角度で全景を撮影するとどこかに必ず江戸時代にあってはならない現代の人工物が写り込んでしまうという問題が挙げられます。
ですから、多くの時代劇は、多くのシーンをセットやスタジオで撮影して、所々をロケするのですが、その野外ロケも現代の人工物が写り込まないように、パンしなかったり、パンしても狭い角度であったり、背景が海や湖だったり、極端に低いアングルや高いアングルからのショットだったりと、狭いシーンがどうしても続がざるを得ません。ロングで雄大なシーンの撮影が非常に困難なこととなっています。(ニュージーランドでロケするか、GOEMONみたいにCGに頼らぜるを得ない状況なのです。江口版紋次郎でも川のシーンでCGを使用していましたね。)
見る側もその苦肉の映像を見て、閉塞感や狭さを窮屈に感じたりしてストレスが溜まらぜるを得ません。パァ〜っと開けた風景を一望するシーンがなかなか撮影できません。木枯し紋次郎の本編もまさにそれで、なるべく現代の人工物が写り込まないようなロケでの映像が続いています。
しかし、木枯し紋次郎のオープニングタイトルは、それだけを見ても、雄大さ、空間の広がり、紋次郎は広い日本を徒歩で旅しているのだという実感が沸いてくる映像で、本編の映像の窮屈さへのストレスを、少し緩和してくれる作用があると感じました。
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