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愛知県に住むシーカヤッカー・カミヤッカーが、勝手気ままに書き散らす日記です。

市川崑

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 夏休みに長野県に行ったので、少し足をのばし上田市にある「犬神家の一族」の金田一耕助登場シーンのロケ地を訪れました。38年の時の経過。町並みが、あまりにも激変していたことに驚きました。

 地元の若者に、ロケ地はどこ?と尋ねても何も知らなかったのですが、60代くらい年配の方に尋ねたところ教えてくれました。意外なことに、この写真を撮ったこの通りで涼んでいた2人のおじいさんに、尋ねてもどちらも知らなかったです。

 1976年に製作した時ですら、終戦直後の雰囲気のある町並を奇跡的に残していて、セットなし、CGなしでも、ここまで渋い街並みの撮影できたんでしょうね。町並み保存を、よほどの覚悟で臨んでいないかぎり、町並みは間違えなく残らないでしょうね。2006年版のDVD BOXの特典映像では、同じ場所でロケしていて、CGで76年撮影当時の町並みを再現していました。

 このシーンは、70年代映画・TVドラマなどで大ブームを起こした全ての金田一耕助モノの中でも初登場のシーンです。山を背景に主人公がずんずんこっちにむかってやってきます。この構図は、奇しくも1972年の同じく市川崑監督の作品であるTVドラマ「木枯し紋次郎」のオープニングと、共通した構図でもあります。

犬神家の一族

大野雄二作曲 犬神家の一族 愛のバラード をテナーサックスで吹いてみました。
http://youtu.be/IY29nHoGSo0

 1996年制作の市川崑監督作品「八つ墓村」をDVDにて鑑賞しました。(以前TVで見たことがあるので2回目です。)

 市川崑の演出、市川組の仕事っぷりは、相変わらずの冴えを見せ、物語の中へグングン引き込みます。脚本も比較的原作に忠実で安心して見れます。

 しかし、この作品の問題点は、やはり主演の金田一耕助役の豊川悦司のセリフ回し、ていうか演技力でしょうね。最近は凄く上手くなってきたけど、この頃の演技は、良い所も探してあげたいのですが、フォローのしようもないほどですね。作品全体の映像レベルは高いのに、主演の演技力が低くて、非常に惜しい作品です。

 金田一役というのは常に石坂浩二という絶対的なイメージが出来上がってしまっているから、中村・紋次郎ファンの紋次郎リメイクものへのアレルギー症状と同じ現象がどうしても起きてしまうから損な役ですね。



 原作を6〜7回読み返した私は、この物語の本質は、金田一の謎解きストーリーでは決してなく、辰弥の冒険譚であると捉えています。平凡な日常を送っていたごく普通の青年が、ある日突然と全く異質な環境に放り込まれ、その凄まじい現実と立ち向かう。まるで、ガンダムのアムロ、エヴァのシンジのように・・・。出来れば宝探しのくだりも、ぜひとも映像化して欲しかったと考えるほどです。

 祟りに見せかけた犯罪ではなく、本当の祟りとして描いてしまってオカルト映画になってしまった松竹・野村芳太郎版は、原作からかなり離れた、私にとって納得いかない脚色ですね。

 私が最高の映像化だと思う作品は、小5の夏休みに寝る前に毎晩見ていた「NHK・銀河ドラマ・八つ墓村」です。若き日の「そ〜なんです」山本さん演じる主人公・辰弥に、降りかかる身の毛もよだつ恐怖の連続。そして聞こえるひぐらしの鳴き声。今思い出しても堪りません。全編、辰弥目線で物語が進行していきます。金田一すら登場しません。

 市川崑監督作品の「犬神家の一族」2006年制作版と1976年制作版の2本を、DVDで鑑賞しました。

 2006年版は初見で、1976年版は久々に、それもDVD-BOX特典映像で、2006年版との対比モードで見ました。

 2作品とも、ナイスな編集、新鮮な映像加工、グッドなカメラアングル、情緒豊かな主題曲、見事な照明、そして最後まで破綻のない物語の展開。一級のエンターテイメント作品でした。

 特に1976年版は、33年経った今直見ても、決して色あせることのない傑作ですね。当時空前の大ヒットしたのも頷けます。

 ひそかな楽しみとしては、1976年版に出演している俳優が2006年版にもそのまま同じ役で出演していたり、別の役を演じていたりしているのを探すのも、いいと思います。

 1976年版の古館弁護士役は俳優座の重鎮・小沢栄太郎で、2006年版の同じ役が、若き日俳優座の風雲児だった中村敦夫だったりして、中村敦夫の「俳優人生」を読むと、小沢と中村の関係・因縁とか、このキャスティングがたまらないものとなります。

 アラをあえて言わさせていただくと、2006年版に出てくるモーターボートが昭和22年のボートにしては最新式すぎる。もし手配できなければ、CGで修正すべきではないかと思いました。(見る側にとっては、美術のほんの小さなほころびが、一気に物語の世界から引き戻されてしまう原因なので)

 また、1976年版の松子役の高峰三枝子、2006年版のヒロイン珠世役・松島奈々子、ともに年をめされすぎている。両人ともに、あと10歳くらい若いくらいがちょうど良かったのではないだろうか。それが残念でした。

 2006年の岩井俊二監督作品「市川崑物語」DVDで鑑賞しました。

 市川崑の人生を、写真と作品の映像の断片で、ナレーションなしの明朝体の字幕で延々82分綴っている。

 感想はというと、「内容的には興味深く面白い」「ただ字幕がうざい。正直、82分間字幕を読み続けるのに疲れた。」(新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH を見た印象に近いです。)

 市川崑=明朝体の活字 という象徴的なイメージとして使用していることは、よく理解できるが、それが映画全編で延々と、しかも非常に短いセンテンスで繰り返されます。映画とは、エンタテイメントであるから、見せる側の理由・論理・自己満足の表面的な演出効果ではなく、観客・見る側の気持ち・立場をもっと考えて、汲んであげないといけないだろう。それは、オリンピックの記録映画をただの「記録」として編集するのか?否か?ということにも通じることのようにも思う。


 あともう一つ、それまでずっと市川崑の一人称の言葉で語られていた字幕が、突然、犬神家の一族との出会いを語るくだりや、市川崑と初めての出会いの場面では、なぜか何の告知もなく唐突に岩井監督の一人称の言葉に切り替わっていて、著しく混乱をきたす。市川崑の一人称としてどっぷり映画の世界に浸っているのに、岩井監督の一人称に切り替わり、その世界から引き剥がされる。そしてまた市川崑の一人称に戻り・・・、 その切り替えが何度も発生していて、見る側にとっては非常に切り替えづらく、内容以前に、その不快感の印象が強く残る。

 その岩井監督の市川崑とへの思いのたけを語る言葉も、岩井俊二ファンなら楽しめるかもしれないけど、市川崑ファンにはどうでもいいという感じはぬぐえない。悪い箇所が、良い箇所を消してしまうような感じがする。岩井監督には、それこそ和田夏十さんのような冷静な目で良くない箇所を指摘してくれる脚本家がいれば、もっと良い作品に仕上がったと思う。

 岩井監督は市川崑の「犬神家の一族」から映像テクニックの多くを学んだそうだが、最も重要なことを読み取っていないようだ。それは、市川崑のストーリーテリングの巧さだ。


 面白い箇所、興味深い内容も数多くあったのですが、鑑賞するのにひどく疲れたので、今回は悪口を中心に書きました。

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