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家族は自分ではない!

仕事において苦しいこと、辛いことに耐える。

基本的に仕事は苦しいことやつらいことの連続である。
しかし、そんな苦しいことに耐えているのはまぎれもない自分だ。

自分が耐える。
家族も父親のいない生活というものに耐えている。
耐えられないと家族は言うのであるが、自分が耐えているのだから当然ではないかと思ってしまったりする。

これが会社の人とかであれば、何とかしなくてはと考えたりする。
会社の人は他人だからだ。

自分が何とか我慢することで、他人の苦しみを除けるのであればそうしたいと考える。

自分が我慢しないために、他人が苦しむっていうことには罪悪感が伴う。結果自分が我慢するのが一番楽なので我慢するということになる。

ところが、家族に対してはそうならない。

家族は自分の延長だという錯覚があり、他人のために我慢すべきだというように思ってしまう。

錯覚に過ぎないという自覚はあるのだが、そもそも、自分が我慢すればいいっていう命題そのものが錯覚そのものである。

錯覚の上に積み上げられた生活そのものを自覚していながらどうにもできないのであるから、家族が自分であるという錯覚を自覚していながら何も手を講じないのである。
自分自身も周りの社会に対して怨嗟の気持ちを抱き、負のスパイラルに落ち込んで現実は展開していく。

錯覚は錯覚であることを自覚するだけでは足りず、錯覚で見ている世界は現実ではないということを行動原理に反映するのでなければ意味がないのである。

閉じる コメント(11)

この錯覚が多くの人を不幸にしていると思います。こういう小説を書いて下さい。一番大切な人たちを一番大切にするという、いかにも当然のことがいかに難しいか。

2007/1/25(木) 午前 0:18 thingscoolorhot

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早速のコメントありがとうございます。そうですね、こういう小説を書きたいですね。Cool様は本当に優しい方だなあってこういうコメントをいただくとしみじみ思います。長期休業でもとって(?)がんばろうかなあ。もっとも大切なものをないがしろにするというのは病なのではないかと。もっとも大切なのは自分と自分の家族であるはずなのにそれをもっともないがしろにしてしまうというのは一つの病なのかもしれないかと思います。

2007/1/25(木) 午前 0:24 [ bud*nt*m* ]

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777番目ではありませんでしたが、カウントは 丁度800となっています。家族の私物化という 自分のあり方に対して、眼を向けられておられるのですね。 我々 皆の持っている盲点ですね。また、自分の周りの人々or社会に対する ある種の思い込みにも・・・。 これらは、実に 根の深い 我々の錯覚・妄想なんですね。大抵 人間関係が ここで営まれているのですが、この妄想の厚い雲は 実は、自己自身でもある。自己の全体(わが過去の全体)でもあるのでしょうね。で、この全貌は 我々の眼には 見通せないでしょう。(続)

2007/1/26(金) 午後 10:45 [ kyomutekisonzairon ]

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これを無明というんですね。 これは 仏智によって 照破されるべきものなのでしょうね。合掌

2007/1/26(金) 午後 10:46 [ kyomutekisonzairon ]

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虚無様>コメントありがとうございます。こんな私のために合掌していただき本当にありがとうございます。人が人のために祈るということはそれだけで本当に尊いのだっておもいます。自分自身というものがあるということって思うことそのものが、仏教では確かそれ自体錯覚だというのですよね。正見でしたっけ?正しく見るっていうことが大切でっていうことを確か習ったような気がします。己というものにとらわれるということが誤りの本質で、本当に正しくありのまま見て、ありのままに行動するということが幸福につながるのかななどと漠然と思います。

2007/1/27(土) 午前 0:45 [ bud*nt*m* ]

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私の親は、多分、家族(子供)を自分の延長だと考えていたのでしょう、自分の意志にかかわらず、我慢させられることが多々ありました。ちょっと悲しい記憶です。結婚しなければ、そのこと自体にも気づかなかったでしょう。

2007/1/27(土) 午後 11:59 [ yumiko ]

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ゆみこ様>そうなんでしょうね。自分が独立してみて初めて分かる部分もありますね。我慢させられるというのはやっぱり親と子供は一体の物ではないのに、親は錯覚するし、実は子供もそう錯覚しているのだと思います。自我が目覚めたときに親に対するある種複雑な感情がそこに芽生えるのでしょう。そんなことが分かったというだけで私は家族をもったってことはよかったなあって思います。

2007/1/28(日) 午前 0:51 [ bud*nt*m* ]

うーん、いろいろ考えさせられる記事です。まず自分が我慢するのが一番楽という記述にはっとしました。そして自分の延長上であると錯覚する家族に自分を押し付け、結果的に一番大切にしたい家族を一番ないがしろにしてしまう・・・他人に優しく身内に厳しいというのは決して美徳ではなく、むしろ自身の錯覚による甘えなんですね。それに、よく夫婦は一心同体で・・なんて言うけれど、これもお互いを思いやって尊重し合わなければ成り立ちませんね。

2007/1/29(月) 午前 3:50 kiyory

私も解らないまま居た事です、田村さんの記事にはいつもドキッとさせられます。これは誤解したまま五年・・十年・・と時間がたつほど怖い事ですよね。ご家族の事ですから。自分の事ではありませんから。。。仏教は私たちが無明の中でウロウロ〜ウロウロ〜しているうちに老いて行くと言いますが、私たちがいて無明があるのではなくまず無明がなければ私たちは存在しないのですから、大変だった在職中も大切な時間だったのではないかと思います。生意気言ってごめんなさいです。。

2007/1/30(火) 午後 10:17 [ - ]

kiyory様>このコメントには相当びっくりしました。素晴らしい要約文ですね!文章力の確かさに舌を巻く思いです。そうそう、夫婦は一心同体でっていうのはありえないです。もっとも自分に近いのではありますが、自分ではないです。自分と同じだと考えるとそこに甘えが出るでしょう。近いからこそ逆に気を使わなくてはならないというのが夫婦なのかもしれません。近いということでともすると尊重する心を忘れるのが問題ですね。

2007/2/1(木) 午前 0:25 [ bud*nt*m* ]

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ユキ様>「仏教は私たちが無明の中でウロウロ〜ウロウロ〜しているうちに老いて行くと言います」へーー、そのようなことが言われているのですか。確かにそうですね。むやみになにもなしえず歳だけとったなあって思います。未だに世の中のこととか何も分からず、身を律することもできず、まったく進歩していないと思います。逆に学生の頃のほうが生一本で、あの頃自分の書いたものとか読むとあの頃の私は一途だったなあって逆に退歩した気がします。そうそう、極楽っていうところがあるならばそこには闇はないものなんでしょうかね?それはそれで、なんだか不可解なところのような感じがしなくもなくですね。多分分からないでしょうけど。分かったら教えてくださいまし

2007/2/1(木) 午前 1:08 [ bud*nt*m* ]


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