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以前の記事をごらんいただいた方はお分かりかもしれないが、故障したので我が家の車を結局廃車にすることにしたのである。 もう既に13年で、車検も近づいているし、10万は少なくともかかるし(30万ぐらいかかるかも)、それでいてすぐ車検っていうのではもう修理しても仕方がないという結論になった。 そんな状況であるのだが、やっぱり車のような大きな物を捨てるのは罪悪感がする。 修理をして乗れば、車というこの物体はまだ機能を全うするのである。 ラジエターに穴が開いたのと、エンジンが少々いかれただけである。 それ以外の機能はほぼ問題ない。 巨大な車体も穴も開いていないし、ブレーキも、ミッションも、サスペンションも、タイヤも、ガラスにひびが入っているわけでもない、たった一部が壊れただけで全てそれらが廃棄物になってしまうのだ。 自動車は確かに再生利用の優等生ではあるが、廃車にしてそれを別の物品に作り変えるためには多大なエネルギーが必要であるし、今あるものよりも価値の低いものになる。 たとえば窓ガラス。 細かく砕いてコンクリートに混ぜて建築材料の一部になったりするが、これは砂でもいいわけである。 そんなわけでガラスは窓として使われるほうが価値としてはるかに高い。それをまた作ろうとすると多大な資源が必要だからである。 車は部品の製造過程から考えるとものすごい人手がかかっている。再生するとはいってもものすごくもったいないことである。 「作り方を教えてあげるから、作ってみろっ」 って言われてみても一生かかっても作れないはずだ。 そのような貴重なものを安易に捨てていいのだろうか?とくよくよと思うわけである。 昨日であるが、息子が小学校に出る前に妻が、 「今日、学校から帰ってきたらリベロはなくなっているからね」(我が家は三菱のリベロにずっと乗っていたのだ) と言ったところ、息子は、 「今まで、僕たちを乗せてくれてありがとう」 って言って車に向かってお辞儀をしたそうだ。 びっくりである。妻はこの言葉を聞いて仰天したらしい。 そんな教育を取り立ててしたわけではないのだが、このような感謝の気持ちを逆に息子に教わったという次第である。
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2006年12月23日
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