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仕事において苦しいこと、辛いことに耐える。 基本的に仕事は苦しいことやつらいことの連続である。 しかし、そんな苦しいことに耐えているのはまぎれもない自分だ。 自分が耐える。 家族も父親のいない生活というものに耐えている。 耐えられないと家族は言うのであるが、自分が耐えているのだから当然ではないかと思ってしまったりする。 これが会社の人とかであれば、何とかしなくてはと考えたりする。 会社の人は他人だからだ。 自分が何とか我慢することで、他人の苦しみを除けるのであればそうしたいと考える。 自分が我慢しないために、他人が苦しむっていうことには罪悪感が伴う。結果自分が我慢するのが一番楽なので我慢するということになる。 ところが、家族に対してはそうならない。 家族は自分の延長だという錯覚があり、他人のために我慢すべきだというように思ってしまう。 錯覚に過ぎないという自覚はあるのだが、そもそも、自分が我慢すればいいっていう命題そのものが錯覚そのものである。 錯覚の上に積み上げられた生活そのものを自覚していながらどうにもできないのであるから、家族が自分であるという錯覚を自覚していながら何も手を講じないのである。 自分自身も周りの社会に対して怨嗟の気持ちを抱き、負のスパイラルに落ち込んで現実は展開していく。 錯覚は錯覚であることを自覚するだけでは足りず、錯覚で見ている世界は現実ではないということを行動原理に反映するのでなければ意味がないのである。
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2007年01月24日
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