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皇紀2678年元号平成30年キリスト暦2018年

検索転載意見

甲斐段平のネット検索ブログネットウォッチャー甲斐段平、kaiselection@yahoo.co.jp

●●―国内―2−

● :竹中の政策が日本を破壊する、派遣社員を辞めて、終身雇用、年功序列を復活させる。少子化問題、デフレ問題も全て派遣が元凶  

● :経済特区構想は巨悪の外資を呼び込む、売国政策だ。  

● :国民健康保険証,顔写真お付けて、運転免許証と同じにする、保険証は外人に悪用(顔写真が無い為に)されている。  

● :米軍の駐留経費要求現状でOK、これ以上払うと人件費も払うことになる、人件費まで払うと傭兵になってしまう。日本も3%の防衛費を計上して独立した国家として支那に対抗しよう。  

● :NHKは民営化を。  

● :沖縄は知事をリコールしろ。  

● :派遣社員の皆さんはこの機会に正社員に成ろう。派遣は労働賃金をピンハネされているのだ。派遣法は極特殊な技能者に限定するべきだ。 派遣社員で結婚が出来るか。日本の問題は全てこの法律に拠る。竹中は派遣会社(パソナ)の手先であり、ハザ金の犬だ。小泉、竹中、安部、麻生の売国政策だ。  

● :議員立候補要件に二重国籍を不可、明記。国権の執行機関には帰化3世以上を条件とする。朝鮮人、支那人、ユダヤ人は6世まで禁止せよ。  

 

 

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--2—

 

 多くの将兵たちは、戦地で斃れた戦友に、「アジアを頼むぞ」「祖国を頼むぞ」と遺言されて戻つてきました。

 彼らは過ちとお詫びと反省を原点になどしてゐません。戦友の死を無駄にしないために、先づは歯を食ひしばつて日本を復興させようと頑張つたのです。

 我が国が持つた理念は正しかつた筈ではないのか。その正しい理念を、戦争に負けたゆゑにGHQによつて否定された、悔しい――その悔しさをバネにした何百万の人がゐました。彼らの強い思ひを学問の名の下になかつたことにしていい筈がありません。

 一方、ソ連の脅威、日本が共産国になるといふ脅威、左翼イデオロギー・反日イデオロギーから日本を護るために頑張つた多数の日本人もゐました。

 元も子もない事を言へば、そんな理屈は一切関係なく、自分が豊かになりたい一心で頑張つた日本人が一番多かつたかもしれません。

 一方で、勿論、この学者声明が言ふような「反省」に原点を見出した日本人も多数ゐたでせう。それを否定するつもりは毛頭ありません。

 私が言ひたいのは、「学問」の名の下に「戦後の繁栄と平和の原点」を述べるならば、少なくとも、以上のやうな多様な原点がそこにあつた事をこそ明示すべきであり、あるイデオロギー的立場によつて、その他を抹殺するなど到底許されないといふ事です。

 戦争といふのは、どのみち巨大な殺戮合戦です。勝たうと負けようと、戦場で多くの人が殺戮しあひ、また不可避的に多くの非戦闘員をも巻き込みます。声明のやうに、「多数の犠牲者」を出したから過誤だといふ言ひ方をし、その反省に立つとすれば、戦争といふ行為に主体的に関はつた国々が全員同罪になるのは自明でせう。

 更に、アジア地域が植民地だつたといふ問題を抜きに、大東亜戦争を語る事は全くできません。そのやうな歴史の文脈の中に戦争をどう置き、どう評価するかは、人が何人死んだから一方の当事国が悪い、だから反省するんだといふやうな幼稚な世界観では、到底、学問的に処理不可能です。

 欧米による植民地支配、そして大東亜戦争の惨禍にも関はらず、それらの暴力的な過程なしに、現在アジア全域が達成しつつある近代化、技術的平準化、国民国家としての成熟、それによる平和と繁栄の享受が実現できたかどうかは、極めて疑はしいでせう。

 政治的な声明では、植民地支配や戦争の肯定的側面に、不用意に言及すべきではありません。が、「学問」であるならば、戦争=日本の罪といふ一方的で平板な文脈ではなく、世界史的観点に立つて植民地支配や戦争の功罪を公正に位置付けようとするのが当然でせう。

 つまり、本来「学問」の名の下に戦後を要約するならば、戦後の繁栄と平和を支へた日本人の意識やイデオロギーの多様性=分裂性にこそ言及すべきであり、また戦争の性格については、世界史の巨大な構造の中に位置づけるべきなのです。

 余りにも皮肉な話ですが、この指導的な学者七十四名の声明よりも、学者が顔を歪めて冷笑したがる政治家、それも保守政治家の発出した「安倍談話」の方が、以上の二点について、明らかに学術的な良心を担保したものになつてゐます。

 自らの立つ政治的立場がどうであるか以前に、日本の主流派学者らは、自らの平板過ぎる世界観と、多様な歴史の実相を隠蔽する強圧的な姿勢について、お詫びと反省を表明してはどうでせうか。

「村山談話」の継承が学問的態度なのでせうか

 次の項目四は、安倍首相に対して、「村山談話」での「侵略」や「植民地支配」への「痛切な反省」、「心からのお詫び」を継承せよと要求してゐます。これ又、驚くべきは、それを、「歴史と法と政治を研究してきた私共が、特に強く申し上げたい」と、ここでも又「学問」をちらつかして要求してゐる姿勢でせう。

 それならば、「詫び証文」を再度入れ直す必要に関して、どういふ学的・論理的根拠が示されてゐるのか。

 第五項では、その第一の根拠として、「『村山談話』を『安倍談話』がいかに継承するか」が、「総理自身の言動も原因となって、内外で広く論ぜられ、政治争点化している」と書かれてゐます。

 しかし、そもそも「村山談話」そのものが、二十年に渡り、政治争点であり続けてきたのではありませんか。
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 安倍氏の言動如何に関はらず、「村山談話」そのものが政治争点だつたのであり、「村山談話」だらうと、「安倍談話」だらうと、どの道、政治争点化する事には変りない、そのやうな単純な事実にさへ言及せずに、何が「歴史と法と政治を研究してきた私共」でせうか。

 

 村山氏が首相として何かを発信すれば、我々は恐らくその多くを争点化します。一方、安倍首相が何かを言へば署名者らは、それを争点化するのでせう。政治とはさういふものであり、だからこそ我々学問や言論を事とする人間は、政治に関与する時に、学問的中立性を僭称しては絶対にならない、その位の原則を七十四名にも及ぶ日本を代表する学徒が自覚してゐない事に、私は眩暈を覚えます。日本の知的病理は何と深い事でせうか。

政治争点化させたのは誰でせう

 この項で次に問題なのは、まるで「政治争点化」を自然発生的な現象のやうに書いてゐる点です。当然ながら、この「政治争点化」は、自然発生的なものではなく、構造的な仕掛けがあります。

 改めて書くのも馬鹿馬鹿しい話ですが、先づ朝日新聞や日本のテレビメディアが安倍総理の発言を「負」の価値づけをして難じます。それを中国や韓国メディアが、更に誇張して非難します。中国と連動が進むニューヨーク・タイムズがその後追ひをし、いはゆるリベラル系欧米メディアが、これを世界中で喧伝し、日本にフィードバックされる。共産党及び極左労働組合を始めとする資金源と、中国を中心とする国際的な諜報人脈がそれと連動してゐます。

 これが「政治争点化」の大きな構造でせう。

 国際政治学者が起草者に含まれてゐる以上、かうした基本構造をこそ、以上私のヤマ勘的記述とは次元の違ふ学術研究のレベルで「析出」すべきではないのか。ところが、声明は、そのプロパガンダの構造に一切言及するどころか、こんな風に述べてゐます。

 

「このことは、国内もさることながら、中国、韓国、米国などを含む、日本と密接な関係をもつ国々で広く観察される現象です」

 

「観察される現象」と書けば、客観的な記述に見える。が、今言つたやうに、この「現象」は国内外呼応してのプロパガンダといふ仕組まれた構造抜きには説明し得ません。それに触れずに「観察される」などと客観めかす事自体が、悪質な詐欺論法です。

 

「こうした状況の下では『安倍談話』において『村山談話』や『小泉談話』を構成する重要な言葉が採用されなかった場合、その点にもっぱら国際的な注目が集まり、総理の談話それ自体が否定的な評価を受ける可能性が高いだけでなく、これまで首相や官房長官が談話を通じて強調してきた過去への反省についてまで関係諸国に誤解と不信が生まれる」

 

 これも学者の文章としてはあつてはならないものでせう。

 要するに「安倍談話」の帰趨が「政治問題化」してゐる「こうした状況の下」では、「反省」や「お詫び」を入れないと、国際問題になるから、入れろと言つてゐる訳です。

 国際社会自体が謀略ゲームの戦場です。プロパガンダをする側が悪いかいいか以前に、さうした政治闘争の中で国益と国家の名誉を守る事が政治の任務です。

 国際政治学徒が起草に関はつてゐる以上、・プロパガンダの構造の指摘・その中で「安倍談話」が、プロパガンダからどうやつて国益と名誉を守るかといふ方法論の提示。これが常識的に考へられる学的な文脈ではないでせうか。

 ところが、声明は、逆に、国際圧力をネタに、安倍氏に謝罪と反省を強要してゐる。学問の政治利用そのものではありませんか。

1931〜45年の戦争」「違法侵略戦争として
国際的に定着」と断じて恥ぢない学者とは

 次の七項と八項は、歴史認識そのものが示されてゐます。連続した内容なので、一体として論じます。

 

20世紀前半の国際社会は、第一次大戦の甚大な惨禍を経験して、戦争を違法化する努力を重ねて来ました。1928年の不戦条約はその代表であり、日本も締約国であった同条約は自衛以外の戦争を明確に禁止しておりました。1931年に始まる満州事変が1928年の張作霖爆殺事件以来の関東軍の陰謀によって引き起こされたものであったことは、歴史学上明らかにされております。当時の日本政府はこれを自衛権の行使と主張しましたが、国際連盟はその主張を受け入れませんでした。その後の日中戦争、太平洋戦争を含めた1931―45年の戦争が名目の如何と関係なく、その実質において日本による違法な侵略戦争であったことは、国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着しております」

 典型的な東京裁判史観です。が、私が今問ひたいのは、その事そのものではありません。
 この史観は、極めて政治的な動機に端を発します。日本が敗戦し、その敗戦を勝者側のストーリーで処断した、それがこの史観の起源だからです。このストーリーの妥当性が高いか否か、ある論者がそれに賛成するか反対するか、それは様々であつて構ひません。が、そのやうに、明らかに政治的な動機に発し、今日まで学術的正当性以上に政治・イデオロギー圧力として君臨してきた史観に対して、学問の自由や価値判断の多様性、研究の深化をまるで一切遮断するやうに、「国際法上も歴史学上も国際的に評価が定着して」ゐると決めつける、それも七十四名もの歴史・政治学徒が、全一致で決め付けてゐる、異説への恫喝でなくて何なのか。

 論証や実証の厳密を旨とする自然科学においてさへ、ある段階での定説=主流派学説は、絶えず、批判に晒され更新されるのが宿命です。まして、近現代の国際関係論に「定説」などあり得ません。絶えず新たな資料発掘によつて説は流動し続け、解釈の幅は力点の置き方で変はり、現在の政治状況や世論が学問に絶えざる圧力を掛けてきます。

 決して一つの結論に収斂しない、いやさせてはならない。

 もし仮にこの声明が言ふやうに「国際的に評価が定着して」ゐるのなら、猶更、さうした「定説」化を強要する国際社会に、日本の学徒は、学問的良心の自由の名において敢然と抗議すべきでせう。それを「国際的」な「評価」を嵩にきて、世界の定説だから言ふ事をきけと言はんばかりのこの口の効きようは一体何でせう。軍部の意向を嵩にきた戦前の皇国史観と、学問的態度としてどう違ふのでせうか。

 とりわけ、ここで言及されてゐる諸点は、長年に渡る激しい論争の対象です。

 満州事変についての言及、不戦条約との関連付けについては私は異論はありますが、今は紙幅の都合上論じません。

 が、声明の満州事変の記述を認めたとしても、塘沽協定によつて満洲事変の戦争状態が一度終息してゐる以上、「1931―45年の戦争」といふ記述が、史実ではなくイデオロギーによるものである事は明白です。要するに、このやうな見方を許容するとしても、それは林房雄の東亜百年戦争史観と同じやうな意味での史観であつて、学的な史実の要約とは言へません。まして、それを全部ひつくるめて「日本による違法な侵略戦争」と断じ、しかも定説だと押し切るのは、幾ら何でも学的に不可能でせう。この声明では言及を避けてゐますが、日中戦争と日米戦争において、日本側に積極的な侵略意図があつたとは、史実上到底言へません。不用意な戦争、拙い戦争とは言ひ得ても、十五年を纏めて「日本による違法な侵略戦争」だつたといふ議論に対しては、説得的で有力な反論が多数ある、それは、誰にも否定できないでせう。

 それからもう一つ、非常に大切な事を申し上げておきたいと思ひます。

 昭和戦前史に関する日本側の一級史料や、学術研究書の英訳が全く整備されてゐないといふ深刻な問題です。世界中の国際法や歴史学の専門家の多くは、日本語の一級史料や幅広い立場からの研究論文や歴史書を読めません。

 世界の主要な歴史家たちは、日本に関して非常に偏つた史観の資料や研究論文しか読まずに、第二次大戦史や近現代史を論述してゐるのが実情です。

 七十四名もの学者が連署して、史資料や文献の国際社会での極度の不足と偏りを指摘せずに、英訳資料不足の上に成り立つ国際学界での学説を「国際的に評価が定着」してゐるなどといつてゐる。ここまで来ると、恥を知れといふ言葉を使ふ気も起りません。

「過ちを潔く認めよ」といふ欺瞞のレトリック

 さて、声明は、上記のやうに歴史を総括した後、「歴史においてどの国も過ちを犯すものであり、日本もまたこの時期過ちを犯したことは潔く認めるべきであります」と結んでゐます。

 極めて欺瞞的な文章です。「どの国も過ちを犯すものであり」ならば、続く文章は「日本も又この時期過ちを犯したのであります」としなければなりません。

 一方、「日本もまた過ちを犯したと認めるべきだ」と書くならば、この一節は、「どの国も歴史上過ちを犯し、その過ちを潔く認めている以上、日本もまた過ちを認めるべきであります」とならねばをかしいでせう。

 ケアレスミスではあるまい。意図的な述語の入れ替へなのでせう。

 現実には、どの国も過ちを犯してゐますが、どの国も過ちを謝つてゐません。

 日本もまた確かに過ちを犯してゐる。そこまではいい。
 が、日本のみが過ちを認め、しかも総理大臣の名前によつて、謝罪を続けるべきだとすれば、それは何故なのでせうか。
 無数の戦争、無数の過ちをしてゐる世界史の中で、我が国だけが謝罪を続ける事の学問的に説得力のある意義とは何なのですか。この声明ではその説明が全くありません。
 しかも、その後に、全く実情にそぐはない奇妙な文章が続く。
「そうした潔さこそ、国際社会において日本が道義的に評価され、わたしたち日本国民がむしろ誇りとすべき態度であると考えます」

 最早笑ふしかない。

 日本は、戦後さう考へ、実行してきたではありませんか。

 謝れば分つてもらへる、誠意は伝はる。さう考へて善隣外交をモットーとしてきた。

 潔過ぎる位、してもゐない事さへ過ちを認め、財産請求もせずに、必要以上の賠償にも応じ、謝罪を重ねてきた。

 その結果、中国と韓国から道義的に評価された試しがありますか。彼らは日本の謝罪や善意を受けて、日本を一度でも大切にし、尊敬し、道義性を評価したことがありますか。

 やつてゐない罪さへ国際社会で定説化し、現在と将来の日本人の不名誉と不利益が重なつてきたのは、まさに、不必要な「潔さ」の為だつたのではないですか。……

署名者全員の返答を求む

 私は、七十四名全員に、以上諸点を項目に纏めた上、公開質問状を送り、返答を求めると共に、返答なき場合には、ホームページ上に、氏名を公開し、その名を日本及び世界に広く喧伝し続ける運動を展開するつもりです。

 私は、彼らが学問を僭称した事実を決して許しません。
 一人一人が、自らの学問的良心に照らして声明への署名撤回をしない限り、学問の名の下に全署名者七十四名を糾弾し続けるつもりです。
「安倍談話」は発出されてをはりではありません。

「安倍談話」の戦ひは、これから始まるのです。

おがわ・えいたろう 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。著書に『約束の日―安倍晋三試論』『『永遠の0』と日本人』(以上、幻冬舎)、『最後の勝機(チャンス)』(PHP研究所)。『一気に読める「戦争」の昭和史』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)を一挙刊行し、話題沸騰中。

 

 

転載元転載元: 甲斐段平のネット検索ブログ

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hitoさん
ナイス有難う御座居ました。

2018/4/15(日) 午前 3:28 bug*nno*e 返信する

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