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北朝鮮が、かなり米軍にビビっているような様子がちらほら見受けられる。まるで「何もしないでね、お願いだから」と言っているようだ(笑)。
北朝鮮の「労働新聞」などは、まだかなり強く米国に反発しているのだが、内実、もう北朝鮮は疲弊しきっているのではないだろうか。国連の制裁がカウンターブローのようにジワジワ効き始めた。
中国様の虎の威を借りて強がっているが、必死に米国との交渉にこぎ着けようとあがいているようにも見受けられる。
もしそうだとしたら、半島情勢に6月12日に劇的変化があるかも知れない。万一そうであれば、ぜひ北朝鮮ののギブアップを望みたい(笑)。
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2018年05月27日
中国の『領土保全』を掲げる日本に対し、あの勢力が動き出す!!【海外の反応- 日本人に誇りを!】昔の日本軍も今の自衛隊もやる事は全く同じ。その土地の人達が自力で生活出来る用に手助けし、基本的なインフラを整備する事。そして今も昔も最低思想なのはシナ・チョンの共産思想。何が共産だよ!シナチョンの共産主義は役人が民衆から搾取するという意味らしい…(-_-;)
中越戦争の時も退却するときに徹底的に破壊しました。昔も今も変わらなかった中国❗経済も他国に援助の名目で地元民を苦しめ白蟻の様に食い潰した、
知っていながら反日教育
恩を仇で返す民族
この事実を天はどう裁くのか!
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過疎地の足は住民の手で 独自に「バス」運行 神戸市北区淡河町
産経ニュース 2018.5.26 15:00 路線バスの減便などで不足する交通手段を補おうと、住民の4割近くを65歳以上の高齢者が占める神戸市北区淡河(おうご)町で、地域住民による「バス」の運行が今月から始まった。同町は市内とはいえ市中心部から車で約40分かかる農村地域。路線バスは行き先ごとに1日数本しかなく、住民自らが「地域の“足”は自分たちで守る」と力を合わせて動き出した。(西山瑞穂) 運行されるのは「淡河町ゾーンバス」。公共交通が十分でない地域で国が特別に運送を認める制度「公共交通空白地有償運送」を利用する。同制度による運行は事業者やNPO法人が関与することが多いが、地域住民のみによる運行は珍しいという。 普通乗用車2台を使用し、診療所やスーパーのほか、カラオケ教室などのイベントに送迎する定期便を基本とする。一方、利用者が車いすなら自宅まで迎えに行くほか、急病などの非常時には電話一本で駆けつけるなど、タクシーのような柔軟な対応も可能。運賃は一律300円に抑えた。 同町では平成21年に地元のNPO法人が同様の事業を開始したが、運転手の高齢化などを理由に28年末で終了。すでに住民にとって不可欠な生活手段となっていたため、自治会の若手メンバーらがマイカーなどを使いながらボランティアで送迎を続けていた。 国の認可を受けたことで、5月16日から正式に運行を再開。住民らは全面的に協力し、運転手として30〜60代の男女8人が登録している。使用する車のうち1台は資金を出し合って購入した。中心メンバーで自営業の武野辰雄さん(43)は「高齢化が進んでも、みんなで支え合える町にしたい」と力を込めた。 http://www.sankei.com/west/news/180526/wst1805260034-n1.html
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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() 日本誕生
卑弥呼を攻めた神武天皇
加治木義博
《少しずつ書き足していった『日本書紀』》
また序文はないが、
それと同じ役割のものを、
『書紀』は、
その天武十年(682)三月の部分に、
「天武天皇が川島皇子、
忍壁皇子ら12名に命令して、
『帝紀』および『上古諸事』を書かせた」
という記事がいれてある。
次に持統五年(691)八月。
持統天皇が
「大三輪(おおみわ)ら18氏族に、
各氏族が伝承してきている
[その祖等の纂記(さんき)(祖先の記録)]
を提出させた」
とあり、
『続日本紀』には、
和鋼七年(714)二月、
元明天皇が
「紀の清人と三宅藤麻呂に
国史をまとめるように命令した」
などと書いてあるのが、
多分『書紀』の編集過程なのだろう、
と想像されている。
だからそれが、
日記のように時を追って古代から書き継いだ、
本当の意味の
[歴史記録]でないことは明らかだ。
それも第1代神武天皇からではない。
最初は
[欽明(きんめい)天皇紀]から
書きはじめているのである。
そして[天武天皇紀]まで書いたあと、
少しずつ前へ前へと、
書き足していっている。
それがどうして分かるかというと、
文字の使い方で発音の変化が分かるので、
それがいつごろ書かれたか分かるし、
本来いちばん最初に書くべき注意書きが
あとのほうにあったり、
日付の暦(こよみ)が
食い違いをみせているので、
書かれた順番が逆になっていることが分かるし、
『三国史記』と比較してみると、
共通の登場人物で正確な年代が分かるので、
間違いを知ることができるのである。
「『日本書紀』のスタート部分」
この[欽明紀]の[割り注]は、
一番最初に書く「注意書」であって、
『書紀』が
ここから書き始められたことを証明している。
帝王本紀、多有古字、撰集之人、屢經遷易。
後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、
前後失次、兄弟參差。
今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、
且依一撰而註詳其異。
他皆效此。 帝王本紀に多くの古き字が有って、
撰集する人、屡(しばしば)、
遷り易(か)わって経過している。
後人は習い読むとき、
意を以って刋(けず)り改めてください。
伝え写すこと既に多くあって、
遂に違い迷っている。
前後を失って、兄弟が違っている。
今即ち、古今を考えて、正してください。
一応識っていることを一つ選んで、
其の他のことは書いていません。
M.K記(責)
連絡先:090-2485-7908
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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪





