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元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんによる素晴らしい講演だ! 上掲したツイッターの動画で、鈴木史朗さんは「北京と天津に7年間いましたが、南京事件の話は聞いた事がない」と述べている。 そのとおりだ。 当時は、戦時プロパガンダによるごく一部のデマ報道を除けば、世界中の誰にも「南京事件」や「南京大虐殺」なんて認識されていなかった。 相手の支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見を開いて日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。 したがって、当時は、支那人も日本人も第3国の外国人も、誰も「南京事件」や「南京大虐殺」なんて全く認識していなかったのだ。 南京に居た支那人や日本人や第3国の外国人でさえ誰も南京での虐殺のことなど話題にしていなかったのだから、ましてや北京と天津に7年間居ても南京事件の話なんて全く聞かないのは当たり前のことだったのだ! 事実関係として、当時南京に居て事件などの情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちも、南京での日本軍による虐殺は全く認識していなかった! 一般市民の殺害等については、当時南京で取材していた朝日新聞など多くの新聞社や通信社の記者やカメラマンたちが「虐殺は0件」(0人)、「市民殺害なんて1件も有りえない」、「戦後言われていることは全部ウソ」だと断言している!
<br /> 『「南京事件」日本人48人の証言』阿羅健一(2001/12/1)
以上のとおり、当時、南京に居て情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちでさえ、南京事件や南京虐殺については1件たりとも聞いていないのだから、子供の時に北京と天津にいた鈴木史朗さんが南京事件のことを聞いた事がないのは当然なのだ! また、上掲したツイッターの動画で鈴木史朗さんは「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するとは考えづらい」と述べている。 真実だが、より厳密に言うと、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部長の証言などによれば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めて全部で約7件〜10件のいわゆる「強姦事件」は認識されていた。 逆に言えば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めても、当時の南京ではせいぜい約7件〜10件の強姦事件しか認識されていなかったということだ。 これは、古今東西、世界中のいかなる戦争でも考えられないほど、当時の日本軍の軍紀が厳正だったということだ。 また、日本軍は、道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていた。 それほど、当時の日本軍内部では、強姦、略奪、殺人などの犯罪について、厳しく取り締まっていた。 それほど厳しく軍隊内部を取り締まっていた南京の日本軍においても、殺人事件はゼロ(0件)だったのだ! 南京における日本軍による強姦犯罪については、きちんとした当時の資料が存在する。
上記のように、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件〜10件だった。 さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日〜12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。 以下、竹本忠雄・大原康男著『日英バイリンガル 再審「南京大虐殺」』より。
上記の資料は、日本語と英語の2か国語で書かれた南京大虐殺の否定本に掲載されており、ネット上で全て読むことが可能だ!
以上のとおり、当時の資料から、南京における日本軍による強姦事件は、買春(売春の客)や和姦に近い事案を含めても10件程度だった。 一方、南京における日本軍による虐殺事件は、0件だった。 「南京戦の真実を追求する会」第9回講演会 ~外務省目覚めよ!南京事件はなかった~ これが最後! 元TBS アナウンサーの鈴木史朗氏が語る当時の中国 《私が見た南京》 講師 元TBS アナウンサー鈴木史朗 日時:12月12日(水) ![]() ■動画 【北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事がない】鈴木史郎講演 〜私が見た南京〜 前半 https://www.youtube.com/watch?v=vcPSAB2LXxM ■動画 【日本兵は中国の民衆のために一生懸命やってきた。その方々を悪く言う事は許せない】元TBSアナウンサー鈴木史朗氏の講演 南京戦の真実を追求する会 〜私が見た南京〜後編 https://www.youtube.com/watch?v=tpC3s8cWDQI http://image.with2.net/img/banner/banner_23.gif http://blogranking.fc2.com/ranking_banner/d_02.gif ●南京大虐殺完全否定のまとめ 日本軍による南京市民虐殺事件は、全くなかった(0人)。 まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。 南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。 南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。 次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。 日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。 陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。 日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。 また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。 虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。 更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。 ![]() ![]() 最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。 よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。 以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。 ![]() 【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」 また、捕虜の不法殺害については、南京戦に参加した畝本正己が、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。 つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人〜800人というのが結論だ。(関連記事) 一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。 支那軍は、「反戦兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。 まさに「皆殺し」だった。 日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。 ★登録URL変更のお願い★ 平成29年12月5日の夜から弊ブログのURL(アドレス)を以下のとおり変更しました。 旧アドレス http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/ ↓ 新アドレス http://deliciousicecoffee.jp/ お手数ですが、読者の皆様にはURL(アドレス)の登録の変更をお願いいたします。 この記事は、FC2ブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」の約1日遅れのコピーです。
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2018年12月24日
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平成30年12月23日、平成の御代、最後の天長節の日は日曜日であった。
TBSの反日「サンデーモーニング」も日曜日であった。
朝からサンモニは自分達の「天皇観」と、間違った「歴史観」と、韓国に「配慮」した、絶対に裏切らない”反日”をしていた。
どれだけ腹立たしいか、皆さんにも感じて頂きたい。・・・
番組では、陛下の会見(12月20日)のお言葉「日本国憲法の下で象徴として位置づけられた」を報じ、何度も「象徴」を繰り返し、「天皇=象徴」を強調していた。
しかし、陛下が伝えたかったことはそこではないだろう。
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以下、番組ナレーション
「明治憲法では『万世一系の天皇が国を統治する』と定め、天皇を『元首』と規定、絶対的な権力を保持するとしました。
この世に人の姿となって現れた『現人神』と呼ばれ、深く畏敬の対象とされたのです。
ところが終戦で、その立場は大きく変わります。昭和天皇が所謂『人間宣言』を行い、新憲法で天皇は「国民統合の象徴」とされたのです。その立場を昭和天皇から受け継いだ30年。
今回の会見では時折声を震わせながら、戦争について語られたのです。
『先の大戦で多くの人命が失われ、また我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と、国民のたゆみない努力によって、築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にも、このことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました』
即位後間もない平成2年には、かつて戦争によって多大な苦痛を強いた隣国・韓国の大統領と会見。
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陛下は「日本国憲法の下で象徴として位置づけられた」と仰せられた。だからといって陛下が「象徴」をお認めになられているかどうかは別である。そこは絶対に仰せられることはないので、我々国民がお言葉を感じなければいけない。
番組では「天皇制」という言葉も使われていた。
「天皇制」というのはコミンテルンの指令でコミンテルン日本支部(後の日本共産党)が「天皇制打倒」を掲げてつくられた言葉で、革命用語そのものである。
この革命用語がなぜ戦後、急速に広まったのか?
これはGHQの「検閲」による。
GHQが「國體」という言葉は徹底的に表に出ないように削除したが、「天皇制」という言葉は削除されなかった。
このため削除されない「天皇制」を使うようになり、国民も多く目にするようになり、だんだん無意識に保守も革新も使うようになって今に至っている。こんな言葉は使うべきでない。
さて、大日本帝国憲法で天皇陛下は「元首として絶対な権力を保持」していたのか?
もちろん違う。天皇陛下の存在は「権威」であって「権力」ではないことは戦前の日本人もよく知っている。
また「現人神」も戦前戦後、ずっと日本人はそう思っていた。これはGHQの検閲した「私信」に多く書いてある(プランゲ文庫)。
そして「人間宣言」である。こんな言葉はない。昭和21年1月1日の昭和天皇の詔書は「年頭、国運振興の詔書」(新日本建設に関する詔書)であり「人間宣言」とは書いていない。
これはGHQが意図して詔書に「天皇をもって現御神とし、・・・架空なる観念に基づくものにもあらず」と入れて「人間宣言」としたのである。
昭和21年元旦の新聞は、この詔書「天皇、現御神にあらず」をトップで報じたが「人間宣言」と報じた新聞はなかった。
国民はこの言葉は「言わされているものだ」と感じていた。検閲された文章にはこう書いてある。
「天子さまにあんなことまで、お言わせ申して、お気の毒なと、嘆いている国民が多いという現状です」
「年頭の御詔書において現神でないと仰せられたけれども、しかし国民の信念は現神と思っております」
「天皇は天照大神の肉体的な御後裔であらせられ、精神的にも天照大神の精神を体して統治を行わせられる。現神であらせられるということはそういうことであります」
これが表に出なかった日本人の考えである。
そして非常に大切なのが陛下の次のお言葉である。
「先の大戦で多くの人命が失われ、また我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と、国民のたゆみない努力によって、築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にも、このことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました」
陛下は「このような多くの犠牲」というところで涙声になられた。
これは明らかに「先人達がお国のために命を捧げた」ことにある。
しかも「このことを正しく伝えていくことが大切」と仰せられている。正しい真実の歴史認識を学ぶようにということである。
TBSには、こういう深い思いを全く無視して、ナレーションはすぐに「かつて戦争によって多大な苦痛を強いた隣国・韓国」と言って、在日番組である馬脚を現していたのである。
・・・・・
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