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2019年05月19日
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読了まで6分かかるそうですから、こちらを:
昭和20年代から落語を聴いてきている身にとっては、もうまさにそのものずばりの石平さんの言葉。
江戸から明治にかけての落語は、笑うのにもある程度の知識や想像力を要求された、すがれたものだった。
所が御一新で江戸から東京になり(矢田挿雲)、多くの田舎者が東京に集結した。彼らには当時の落語の世界のことがわからなかった。
しかしそのマーケットを無視するには忍びない。そこで珍芸四天王(←クリック)が現れて、わきの下へ手を入れてコチョコチョとするような爆笑ものを作り上げた。
現在も似たような状態だ。
テレビの普及で「お笑い」が全国に広まった。そしてお笑いとしてはビートたけしやサンマなどの爆笑ものが流行っている。
爆笑ものと言うのは、何らの知識や理解力がなくても、早い話バカでも大笑いできるものだ。観客席に「ウッソォ〜!」とか「エェ〜!」とか言わせるもの。テレビのディレクタに載せられてあぁいう「感嘆詞」を発する連中と言うのは、普段何も考えていない人たちなんだろうね。
まさに大宅壮一の言った「一億総白痴化」の人々。
落語も「お笑い」の一つとして、彼らに対抗しなければならない。
そうするには、明治時代の珍芸四天王と同じようなことをすることになり、笑点みたいな番組が幅を利かせるようになった。
その結果がこれである。
噺家がそういうことをするには無理がある。
だからそんな番組の司会をしていた談志も圓楽も平均寿命に届かなくて早死にした。
歌丸はほぼ平均寿命まで生きたが、鼻にチューブを突っ込んでまでの痛々しい姿を晒さなければならなかった。
見たくないよ、あんな「噺家」の姿。「噺家のシャレ」にもならない。
「あぁ〜あ、豪勢おどろいた」と言うのは小さんの猫久の中でのセリフだが、後世、落語ファンと自称する人々が歌丸を思い出す時には、必然的に、鼻にチューブを突っ込んだ姿で思い出すだろうね。
落語は現代の「お笑い」の一つと言う考えに立脚すれば、笑点にならざるを得ない。落語はあくまでも寄席演芸なのだ。気楽に入って、気楽に楽しむ。
寄席演芸と言う視点が全く欠落している圓楽党と立川流は私には全く面白くない。
政治の悪口を言ったって、それを聴いて「気楽に楽しめる」人はそんなに多くはないはずだ。
ある「本格派」と言われる師匠と呑んだ時、「法師さん、何が一番不満かと言えば、田舎の婆さんたちに『早く笑点に出られるような落語家になりなさい』と言われる時です」と言われたことがある。
かくて本格派落語はすたれていく。
いやだねぇ、こういう風潮。
噺家が政治のことを皮肉ったってしょうがないではないか、夜盗好きには好まれるかもしれないが。
そういうことを期待して、寄席などに出かける人がいたら、それは間違いだ。
笑点は「お笑い」として見れば面白い。しかしそこでの笑いは噺家と称する人たち以外の人がやったところで、面白いことに変わりはない。
石平さんの嘆きには100%共感する。
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H31年、人気第1位!!上念司+大高美貴、K国通貨が!!まもなく紙くずに!!K国経済に悪夢再来か!!IMFの管理がまた来る!!を解説!!韓国はAIIB からお金を借りて下さい。再び中国の属国に〰️
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