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韓国雇用労働部は9月24、26日にソウルのCOEXで予定していた日本・東南アジア地域の就職博覧会「2019下半期グローバル雇用大展」の開催を中止するか、日本企業を対象から除外する方向で検討することを決めた。 最終更新:8/5(月) 12:14
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NHK 2019年8月5日
アメリカのテキサス州とオハイオ州で3日から4日にかけて銃撃事件が起き、合わせて29人が死亡、53人がけがをしました。わずか半日の間に大規模な銃撃事件が相次いだことは、アメリカ全体に衝撃を与え、銃規制をめぐる議論が再び活発になっています。
アメリカ南部・テキサス州のエルパソで、3日午前10時ごろ、大型小売店「ウォルマート」で、21歳の白人の男が買い物客に向けて銃を乱射し、警察によりますと20人が死亡、26人がけがをしました。
容疑者の男はその場で拘束され、捜査当局は、事件が人種や宗教などに対する憎悪や偏見に基づく犯罪、ヘイトクライムにあたるとみて、警察は州内にある容疑者の自宅を捜索するなどして、動機や銃の購入先などを調べています。 このおよそ13時間後、中西部・オハイオ州のデイトンにある飲食店で、24歳の白人の男が発砲し、店にいた客など9人が死亡、27人がけがをして、男も警察官との撃ち合いの末、死亡しました。
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今年最大の騒動になりつつある吉本興業問題。老若男女有名無名の芸人が登場していろいろ語っているのも面白いところだ。そんななか、集中砲火を浴びてしまったのが、大平(旧・太平)サブロー。後輩芸人たちの会社批判に対し「こいつらふぜいがなんや。気に入らんかったら辞めろ」とラジオで発言して、老害呼ばわりされた。 【写真】衝撃!画像加工と見間違える姿に激ヤセしたガリガリガリクソン が、じつはこれ、彼にとっては大事な「使命」なのだ。93年に吉本への「出戻り」を許されたとき、会社から7つの条件を突きつけられた。そこには「3ヶ月ノーギャラ」「アルバイト(闇営業)禁止」「亡き会長の墓に参る」などのほか「独立しようとしたタレントへの説得役を使命とする」というものがあった。
それゆえ、サブローは発言の3日後、テレビでこう釈明した。 「僕は1回辞めてますからね。外、出て、どんな思いしたか。怖かったか」 それはかつて「加藤の乱」のようなことをしてしっぺ返しを食らった者としての偽らざる本音だろう。ではいったい「どんな怖い思い」を味わったのか、今回の騒動の今後を占う意味でも、ちょっと振り返ってみるとしよう。 ■「チャンスはなんぼでもあると思てる」 発端は88年、大平(当時・太平)サブロー・シローがコンビで吉本を飛び出したことだった。彼らは80年代初めの漫才ブームで世に出て「オレたちひょうきん族」などでも活躍。年収も2千万円はあったというが、本格的な東京進出を認められないことに不満を抱いていた(会社は彼らのバラエティ適性をあまり評価せず、大阪で漫才の灯を守れ、とも言っていたらしい)。 そこで独立にあたり、大平シローはこんな怪気炎をあげる。 「吉本を辞めたらホサれて仕事がなくなる、と。でも、ボクはそうやないと思てるんです。(略)吉本という大きな井戸を飛び出したら、芸能界、いうもっと大きな井戸がある。チャンスはなんぼでもあると思てるんですよ」 もともと、彼らは松竹芸能からの移籍組だったから、これもステップアップのひとつくらいに軽く考えてもいたのだろう。しかし、サブローはすぐに後悔した。 「『独立したからって関係ないわ。ウチらつき合うで。任しときや』と言うてた人が独立した日から、ホンマ、オセロゲームでバタバタッと白が黒に変わるみたいにものの見事に裏返って、独立したその日からレギュラーが三本なくなりました」
5ヶ月後にはテレビから消え、興行の仕事も激減。そもそも、独立をめぐって温度差のあったふたりは、コンビ仲も悪くなり、解散してしまう。その翌年、サブローだけが頭を下げ、というか土下座して、吉本に復帰するわけだ。 ■シローが味わった「怖い思い」 この結果、シローはもっと「怖い思い」を味わうハメに。参院選に出て落選したり、ノイローゼ説が囁かれたり、水商売に手を出したりと迷走が続いていく。また、失踪が報じられたときには、サブローとマネージャーによる陰謀だと主張したりした。そして、元・相方に遅れること4年、ついに降参して、吉本に復帰するのだが――。 シローに対し、会社は一段とシビアだった。本業をほとんどやらせず、本名の「伊東博」で構成作家をさせるなどした。その後、若手と組んで漫才もやったが、本人が切望していたサブローとのコンビ再結成は実現せず。09年に心臓疾患で倒れ、55歳で亡くなってしまった。 一方、サブローは関西中心の活動とはいえ、復帰後はピン芸人として安定した地位を築いている。こうしたコンビにおける明暗の分かれ方は、横山やすし・西川きよしのそれを彷彿とさせるものだ。じつは皮肉にも、サブロー・シローはやすきよのものまねを持ちネタにしていた。きよしのキャラ立ちにもつながった「小さなことからコツコツと」を広めたのはシローだったりもする。 そして、サブローはやすし亡きあと、きよしと組んで「新やすし・きよし」を名乗り、漫才をやったりもした。いわば、ニセモノのやっさんとして仕事につなげているのだ。 ■島田紳助のスタンス そんな「サブロー・シローの乱」をめぐって、独自のスタンスと存在感を示したのが島田紳助だ。ふたりが独立した際「オレたちひょうきん族」に絡めて、こんなことを言っていた。 「スタッフ含めて『ひょうきん族』という家族なんや。ただ、サブロー・シローは吉本やめたんやから同じ楽屋から出てってもらいたい」 冗談めかしてもいるが、吉本から「家出」した者への非難もこめられた言葉だ。とはいえこれは、彼のやんちゃな情の濃さのあらわれでもある。サブローが復帰する際には後押しをしたし、シローの復帰嘆願運動も行なって、こんな発言をした。
「みんなの力、みんなが戻してやりたいというムード、思いがあったら、それを吉本が耳傾けんことはできないでしょう。(略)人が一人増えるのやから、ライバルになるのやからね。それでもみんなそんなことをかまわずに、なかなかフェアやと思いますよ。いつもケチやのなんやの、みんなで言うてるけど、こういうところの吉本っていいな、と思いますわ」 今回の騒動で、松本人志や岡本昭彦社長の言動に漂っていたファミリー好きの吉本イズムというものがここにも見てとれる。ただし、サブロー・シローにとっては複雑な気分だっただろう。ふたりが独立した時期は、紳助がキャスターを始めた頃でもあり、こんなふうに茶化していたからだ。 サブロー「お笑いが、マジな顔してニュース読んでね。クウェートの情勢はどうたらこうたらと。その中にオチがあればいいけど、オチがないまま『続いて空模様です』。何をいうとんねんと」シロー「紳助がフセイン大統領の話をして『いかんですよね』いうてね。おまえがフセインみたいなことしとったやないか!?」 だが、復帰後「紳助の人間マンダラ」で構成作家をさせてもらうようになったシローは、こう語ることになる。 「紳助さんは昔から努力家ですけど、素人を巻き込んで番組で遊ぶのがごっつううまい人やね。(略)ネクラな人間でも面白い番組を見つけ、こう遊んだらええやないかと引き出してくれる温かみがある。番組の伝道師みたいな人やね」 とまあ、紳助及び吉本イズムの軍門に完全に降ってしまったのだった。 ■吉本の多様性は変わらない このような経緯を思い出すにつけ、今回の騒動も結局、おさまるところにおさまるのではという気がしてくる。吉本という会社も、芸人たちもそれほど変わったとは思えないからだ。そして、変わればいいというものでもない。ファミリー志向とブラック要素を併せ持つ企業としてのあいまいさや大ざっぱさ、社内格差といったものが、吉本の笑いや芸人の多様なあり方にもつながってきたのだ。 また、82年にNSC(吉本総合芸能学院)が設立された際、師匠と弟子というシステムがなくなることによる芸の変質が危惧されたが、先輩後輩という上下関係は今も健在だ。ちなみに、引退した紳助や出戻りのサブローがそれなりの顔でいられるのは、無名時代のダウンタウン(NSC1期生)を評価し、引き立てたことも大きい。そういう「目利き」の芸も、才能のひとつだろう。
ただ、多様性というなら、今回もひとりやふたり、吉本から飛び出す芸人がいてほしい。その後、出戻るようなことがあれば、次にまたこういう騒動が起きたとき、サブローのような役回りを演じることができるわけだ。今回のサブローの言動には、あれがここにつながったかという、小説やアニメでいうところの「エピソード回収」のような面白さがあった。そんな芸人たちの悲喜こもごもを眺めるのも、芸能の醍醐味なのである。 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など 【関連記事】
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韓国で第2の独立運動が起こるそうで、楽しみだろ。アメリカの軍政下から建国した韓国はいまだに独立出来ない(笑)お隣の頭の変な人たちはインドの独立の戦いを勉強すべき。インドの独立には影で日本の力と朝鮮の力があった事を。そして本当の植民地支配と日韓併合の違いを知るべき。近くの悪友より遠くの親友の方がいいだろ。
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日韓関係が悪化の一途をたどる中、長崎県対馬市で4日、日韓合同による朝鮮王朝の外交使節「朝鮮通信使」の行列が再現された。日本による輸出規制強化をきっかけに、対馬を訪れる韓国人観光客は激減しており、地域経済に暗い影を落としている。対馬側の関係者は「行列ができてホッとしたが、先行きは不透明だ。両国が早く仲直りしてほしい」と早期の関係改善に期待を込めた。 そこで動いたのは、韓国側の有志だった。両市の交流に長年携わってきた釜慶大元総長の姜南周(カンナムジュ)さん(80)は「交流はやるべきだ」と釜山市長を説得し、参加容認を取り付けた。NPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(対馬市)の松原一征理事長(74)は「姜南周先生の進言で行列が再現できた」と感謝する。韓国側参加者も「行列参加により国内で逆風が吹くことを心配していたが、結果的に良かった」と話した。 対馬観光物産協会の江口栄会長(64)も「日韓対立は長期化するのではないか」と不安を隠せない。昨年、対馬市を訪れた韓国人観光客は過去最多の約41万人を記録しただけに、地域経済への打撃は大きい。 西日本新聞社
最終更新:8/5(月) 9:50
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