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《干支は古代中国「殷」の文化》
※出典:加治木義博
大学院講義録18:09
こうして高句麗は「ネの国」と呼ばれて、
間違いなく卑弥呼以前に
領有されていたことが証明されている。
このほうが、
五彩圏よりもさらに古い可能性がある。
だとすると
それらの干支は
中国の文化のように見えるから、
ギリシャ文化が入ってくる前には
中国文化が入って来ていたのであろうか?。
干支は、
すでに殷の時代にみられる文化である。
歴代皇帝は
自分の生れ年の干支を知っていただけでなく、
神にを酒を捧げる器(うつわ)
「觥」(こう)をその干支に象って
使う伝統をもっている。
私(加治木義博)はその1つ
『兕觥(じこう)』を所蔵しているが、
それは酒池肉林をやって周に滅ぼされた
最後の皇帝「紂・チュウ」のもので、
チュウとは丑のこと。
丑年生まれだからチュウと呼ばれた。
だから私の兕觥も牛の形をしているが、
神秘化して一本角にしているから
「兕」と呼ばれているが、
彼が丑年生まれだった証拠である。
紂の字は、彼を倒した周の学者がわざと、
丑でなく、
それと同じ発音の
「寸たらずの糸=役立たず」という意味の
紂の字を使ったのである。
その殷の首都は、
茨城県稲敷郡と同じ緯度の
北緯36度線上にあり、
そこを
ヒタチ=日立=太陽の昇るところ=出発点=
父祖が後にした故郷として崇拝している。
とすればインとは南九州語で
「イン=去る=申(サル)」で、
太陽が去る(沈む)西を
意味していたことがわかる。
M.K記(責)
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伝説・神話など
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《孝のつく4帝はすべて高句麗の領有者》
※出典:加治木義博
大学院講義録18:06
日本足彦国押人=孝安天皇。
大はないが日と本はある。
そして「足」は
古来「タラシ」と発音してきて、
「根」のタラシと同じである。
やはり根の国・高句麗が領土に入っている。
では、それ以前はどうなっているか?。
天足彦国押人=孝安天皇の兄。
一見してわかるように、
孝安天皇とは
日本が天に変わっているだけである。
こちらは九州本土はもっていないが、
天すなわち沖縄と高句麗を領有していた。
ではそれ以前はどうか?。
二人の父・孝昭天皇はどうなっているか?。
その名乗りは観松彦香殖稲=孝昭天皇。
これはミマツヒコ・カエシネと読まれてきた。
しかし観はカンで韓、松は馬津で馬韓。
ヒコは日子で日向と子の国。
カの香はコウ=高、
殖はフユで冬すなわち夫余、
シは子、
ネも子、
子はコで高もコ、
間違いなく高句麗を領有していた。
この4帝を淡海三船は、
孝昭・孝安・孝霊・孝元と、
全て「孝」のつく法号で表現した。
この「孝」は、
高句麓・高族の
「高」なのだと以前にお話しした。
三船の頃までは、
まだ古代の天皇たちのことが
よく知られていた証拠である。
だが、
それにも増して重大なのは、
この4帝はこれまで欠史天皇と呼ばれて、
架空の人物だと抹殺されてきた
8帝の半分に当たることだ。
真実は欠史どころか、
その名乗りが、
その領土まで詳しく語るのに…。
M.K記(責)
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《まだある我が国の古代大政治圏内=「干支圏」》
※出典:加治木義博
大学院講義録18:03
過去の学者が想像もしなかった、
我が国古代の政治圏の実在が、
我が「言語復原史学」で発見され確認できた。
それは
『四神圏』に始まって、
『五彩圏』に発展し、
『方位名圏』が見つかり、
『四季圏』が加わった。
『記・紀』や『旧事本紀』などの古代文献も、
中国歴代の『倭人章』も、
ギリシャやインドなどの史書や経典類も
その片鱗にさえ気づかず、
欧米のどこの歴史書にも聖書にも
見られなかった巨大な古代文化が、
我が国で見つかった!。
それは直ちに
『魏書倭人章』などの核心を衝き、
卑弥呼時代、壹與時代から
天智天皇時代に至るまでの、
秘められていた
「大きな史実」と「大政治圏」の実在と、
その背景と環境を明確に立証して、
江戸から20世紀に至るあの賑やかだった
「邪馬台国位置論争」や、
「倭国・日本論争」
「大化改新論争」が、
まるでバカバカしくなるほどの古代地図を、
ありありと展開して、
本講の真価を決定的にした。
これに刺激されたか新年早々、
明日香のキトラ古墳の四神壁画の
現状確認が行なわれて、
古代史マニアの関心を煽った。
痛快なことである。
だが、
我が国の古代政治圏の発見は、
これで終わりではない。
さらにもう1つある。
それはこれからお話しする
「十二支による地名」を、
正確な方位に配置した
『干支圏』の実在が
確認できている事実である。
それは私たちに、
さらに何を教えてくれるのであろうか?。
M.K記(責)
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《「名乗り」はギリシャから来た文化》
※出典:加治木義博
大学院講義録17:26
この名乗りの由来は、
白鳥の跡を追って出雲または但馬で捕らえ、
それを皇子に献上した
「鳥取造の祖」の天の湯河板挙にあると、
『日本書紀』は
垂仁天皇23年10月の小節に書く。
この人物の板挙という名は「イタアゲル」、
当て字を変えると
「倭・健、ヤマトタケルと同じになる。
この英雄皇子の陵は3つもあるが
皆「白鳥陵」と呼ばれている。
どうみても
倭健と仲哀天皇は蘆髪蒲見別王を含めて
同一人物なのである。
だが
湯河板挙は白鳥を追って
出雲や但馬まで行っている。
『古事記』になると
姓名も山辺の大鷹(たか)に変わり、
白鳥を追ったコースも
木の国から針間、旦波、三野、科野(しなの)、
高志などと、
大変な旅を重ねて捕ったとある。
これではとても卑弥呼時代の話ではなくなる。
これは出雲(イズン)は出水(イズン)。
但馬(タジマ)は種子島(タジマ)と読むと、
話の原型がわかり、
奄美から南九州までの、活動範囲に納まる。
大鷹(たか)という名も
「大高=大島と高の国」を意味し、
少しもおかしくない。
こうして「名乗り」は
素晴らしい働きをしてくれるのである。
ギリシャには
ヘルマプロデイトスという名がある。
これは
ヘルメスとアプロディテとの間に
生まれたオス=男という
「名乗り」なのである。
名乗りと地名の関係は
アテネとアテナイ、
ロムルスとローマ、
アレクサンドロスとアレキサンドリヤ
などで充分理解できる。
M.K記(責)
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《蘇我馬子と仲哀天皇とは同じ名乗りの持ち主》
※出典:加治木義博
大学院講義録17:18
<蘇那曷叱智>と<足仲比古の智(チ)と古(コ)は、
「木」に変えると、「チ」はキの沖縄語発音。
「コ」は古語の木の発音で、同じもの。
また
「叱と比」は大隅語と本土語の「ヒ」で同じだから、
この2つの名は同じもので、
ただ当て字が違っているだけだとわかる。
もっと面白いのは、
比古はビコと読む習慣もあったから、
昆古とも書く。
沖縄語の「ビ」は
南九州語では「ベ」に翻訳される。
比古は「ベコ=黄牛」と同じ名になる。
すると朝鮮語の「牛=ソ」を知っている南九州人は、
頭をカシタと発音するからソナカシチという名は
「牛の頭(ソなカシタ)」のことだと思い牛頭天王と呼ぶ。
現実にスサノオノ尊は
牛頭天王と呼ばれているから、
「誓約(うけひ)」によって
天照大神の夫になったスサノオノ尊は、
仲哀天皇と重なる。
また
息長=蘇那曷は「ソ」な「ガ」で、
「な」は助詞の「の」だとみれば、
ソガと書いても「ソナカ」と発音できる。
曽我・蘇我はソナカと同じだった可能性がある。
それは蘇我が仏教政権の中枢にいて、
それに反対した
物部守屋を殺し崇峻天皇まで殺したからである。
すると蘇我馬子という名は息長比古と、
馬と比だけが違うだけの1字違いに見えてくる。
馬は「メ」という発音がある。
比は「ビ=美=ミ」だから、
沖縄のミは南九州ではメである。
馬子は比古・彦と同じもので、
蘇我馬子は仲哀天皇と同じ名乗りだったのである。
M.K記(責)
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