伝説・神話など

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日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた

1/1(月) 13:00配信

現代ビジネス
ある衝撃的な発見

 船を住まいとした漂海民、山中に庵を結んだ箕づくり、放浪する芸人や修験者――日本列島の周縁には、つい数十年前までさまざまな漂泊民が生きてきた。かれらに心惹かれるのは私だけではないだろう。「私たちの知らぬところに、私たちとは別の世界が存在」してきたという民俗学者の宮本常一の言葉に、どれほど胸をときめかせたか。

 かれらの漂泊性、呪能、芸能は、しばしば縄文と結びつけて語られてきた。はたしてそうなのか。縄文文化の終焉から二千年以上経つ。それは根拠の薄弱な、縄文に仮託されたロマンにすぎない。考古学の研究者である私はそう考えてきた。その私が今回、海辺、北海道、南島という列島の周縁や漂泊民のなかに縄文の思想が生き残ってきたという、『縄文の思想』(講談社現代新書)を上梓することになった。

 本書の核をなすのは、周縁の人びとが共有してきた縄文神話の議論だ。数年前の私なら、縄文神話という言葉を聞いただけで強いアレルギー反応を示しただろう。考古学は物証による確認が困難な問題に強い自制を働かせる学問だからだ。そのような課題にあえて挑戦しようと思ったのは、ひとつの衝撃的な発見がきっかけだった。

 ある日、アイヌの神話・伝説を調べていた私は、おもわず目を見張った。そこには『古事記』『日本書紀』『風土記』の海民伝説と共通するモティーフがいくつもあったのだ。なぜ神話・伝説が共通するのか。なぜ古代海民とアイヌなのか。これまで誰も指摘したことのないこの事実の発見が、二千年を生き抜いた縄文という、予想もしなかった結論へ私を導くことになった。

 海の神のサメやシャチが、高山の山頂に坐す山の女神のもとへ往還する――古代海民とアイヌに共通する伝説のひとつだ。この伝説はかれらの他界観を反映していそうだ。というのも、かれらの他界は地下にあり、海辺の洞窟を入口とし、高山山頂を祖霊や神の世界への出口とするからだ。つまりこの伝説は、生者である海の神が山頂に坐す亡き妻を訪ねる、他界への往還伝説とみられる。

 この気づきは強力な磁場となり、さまざまな事実を引き寄せていった。たとえば、海と山を往還する祖霊や神の世界観、洞窟を他界の入口とする観念は南島にも存在する。

 興味深いことに、この同じ他界観を共有する海民、アイヌ、南島の人びとは、縄文習俗のイレズミ、抜歯、縄文人の形質的特徴を弥生時代以降も長くとどめた。共通する伝説についても、縄文起源の伝説と考えてみることができるのではないか。

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転載元転載元: nk8**6eのブログ

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 歴史学講座『創世』古代史注釈
 日時:2018/01/08(月)13:30〜16:30
 場所:草加市文化会館2階第一研修室
     草加市松江1-1-5 ☎(048)931-9325
 主催者:歴史研究家「小嶋秋彦」『日本創世紀』の著者
  ※『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代

  講師:歴史研究家 小嶋秋彦 
 課題:古代の倭国及び韓半島の養蚕の地
    ―シナより東邦へ養蚕技術を
     もたらしたのは「倭人」―

 1.『後漢書』『魏書韓伝』にみる韓半島の養蚕
 
 2.『後漢書』『魏書倭人伝』にみる倭国の養蚕

 3.韓半島・倭国に遺留されている
   「倭人」の言葉と地名

  (1)特に「星」名〔伽耶・高野〕及び
    「名護屋」「名古屋」

  (2)一、二、三、四〜十:
    「イチ、ニー、サン、シー〜ジュウ」

 4.白木神社:繭は「石」と呼ばれた

 5.「コシマ(小島)」と「小林」

 6.王丸〔(現)糸島市(前原市)〕の
   「オオマル」と「コシマ」

 7.「おかいこ」と「カイ(ケイ)」

 8.「カラ(唐)」「蛾」「羅」の
   〔「爾雅」揚子江流域の言葉〕

 9.韓半島南部の「青州」また「慶(州)」「金」

 10.伽耶山と「洛東江」名の語源


 養蚕の起源について日本国内の認識は
 未だ不透明です。

 日本にも古来「野蚕」との糸を出し
 「まゆ」を作る虫はいて現在も各地に生息しています。

 しかしいわゆる「養蚕」は大陸から日本列島へ
 倭人が渡来した際、伝承した生業です。

 本来四川省など「嫘祖」に係わる地方では
 「おかいこ」さんは
 「蠶」字であらわされていました。

 「蚕」字は元来「みみず」で
 後世に借用しているのです。

 魏志倭人伝の時代は
 紀元1世紀から3世紀までで、
 この時期倭国においてもかなり多量の
 「絹糸〔緜〕」が産出されていました。

 そのように同伝は記述しております。

 その実体を関連の考古学的資料も
 ご覧に入れて「日本創世紀」に即し紹介します。

 それら傍証となる史料はかなりに上ります。

 「倭人の絹」は同書の重要な中心的課題です。

 当時の倭をとりまく国際的社会情勢を知り、
 倭〔日本〕の特性を把握するのに大事な事項です。

 また21世紀以降の日本にとって
 世界に向かって日本の国柄を紹介し、
 その文化程度の高さを案内するのにも
 大事な事項です。

 わたしたち日本人は
 真の古代文化の価値を認識すべきでしよう。

 M.K記(責)

転載元転載元: 歴史徒然:History Tsuredure

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《『魏書倭人章』の真価は卑弥呼時代を定義したこと》

 ※出典:加治木義博
     大学院講義録23:08

 しかし、
 このまま興味本位に
 「『古事記』偽書説」に
 滑りこんでしまっては、
 本講の主題である
 『定義』から脱線してしま
 偽書説問題は簡単ではない。

 後にまわして、
 ここでは
 これまでの定義の価値を確認して、
 さらに定義を充実させるのが
 本題でなければならない。

 これで
 『古事記』が『日本書紀』を
 写したものだと定義できたから、
 安心して『日本書紀』に重点を置いて、
 この定義を確立させた
 「ソナカと卑弥呼記事の分散」が
 『魏書倭人章』の本当の価値を
 証明する事実を、
 よく印象に止めて戴ける
 お話をすることにしよう。

 歴史に関心の薄い人でも、
 戦後のいわゆる
 「邪馬台国ブーム」はご存じである。

 それほど日本人の関心は
 「邪馬台国はドコにあったか?」
 に集中していた。

 しかし
 『魏書倭人章』の本当の価値は
 「邪馬台国はドコにあったか」
 なんかではない。

 その最高の功績は、
 卑弥呼が
 「いつの時代の実在者だったか」を
 記録していたことなのである。

 卑弥呼は
 「後漢の桓帝と霊帝との間ごろに
  倭国の女王に共立され、
  A.D.248年に死んだ」。

 これが
 わが国の正史とされる
 『記・紀』ではさっぱりわからない。

 『魏書倭人章』があって
 始めて確認できたのである。

 だからこれも、
 卑弥呼とその別名による記録類が
 史実だと確認できる『定義』なのである。

 その定義がどんなに役に立つのか?、
 詳しくお話ししてみよう。 
 
 M.K記(責) 

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《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂》

 ※出典:加治木義博
     大学院講義録22:27

 E さらに、
   これには垂仁天皇と戦い続けた
   景行天皇の記事が、
   垂仁天皇の次の天皇としてはいり、
   さらに仲哀天皇の前に、
   仲哀天皇の父が
   成務天皇として加えられた。

   こうして仲哀天皇は、
   とんでもなく
   後世の天皇だということに
   なってしまったのである。

 F 『記・紀』は、
   倭国と日本国が合併したから
   必要になって作られた国史だった。

   双方の旧国民を納得させるためには、
   双方の天皇たちを、
   全部、皇祖皇宗として
   記録しなければ、必ず内乱が起こる。

   しかし本来、
   別々の系図に並んだ先祖代々の系譜を、
   2本並べて併記することは出来るが、
   それでは将来に禍根を残すから、
   倭国と日本は古来、
   1つの国であったとして、
   国史を書き直したのである。

   2本の系図を1本にするには、
   同時存在を全て父か子の位置に
   移さなければならない。

   『記・紀』は最初から、
   こうした矛盾を覚悟して、
   過去を犠牲にして、
   未来の安定・幸福を願って作られた、
   苦肉の作品だったのである。

 G 本来、
   2冊なければ書けない
   同時存在の2国の歴史を、
   1国の歴史として1冊に
   同時に書くことは、
   どんなにしても不可能である。

   ことに同時存在の複数の天皇を、
   対立させずに同時に書くことなど、
   できるはずがない。

   『記・紀』の編纂は、   
   根本から無理な注文の充満した
   厄介きわまる難事業だったことを、
   改めて認識し直すことが必要である。

 M.K記(責) 

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《仲哀天皇を殺した熊襲は高天原の皇祖》

 ※出典:加治木義博
     大学院講義録22:14

    ソナカは仲哀天皇だから熊襲に殺された。

   稚彦を殺した高皇産霊の尊は、 
   『古事記』では
   高木の神ともいうと書かれているし、
   高天原の主である。

    <高天>は<クマ>への当て字だったから、
   <高皇>も<高木>も<タカコッ>への当て字。

    <高国>・<タカコク>のこと。

   これは<クマ>とも読む国名である。

    そして高木の神も天照大神も
   皇祖と呼ばれている。

   こうみてくると
   <クマソ>とは
   本来は<高国の皇祖>のこと
   だったのである。

   <天稚彦>はどう検討しても、
   間違いなく仲哀天皇である。

    これにはさらにオマケがついている。

   彼の死後の話として
   <味耜高彦根>(アジスキタカヒコネ)が
   登場する。

   この名は『古事記』では
   <阿遅志貴高日子根>と当て字してある。

   これを別字にすると
   <阿爾鉏高日子根>ができる。

   なぜそんなことをするかというと、

   これなら
   <阿><ア>
   <爾><レ>
   <鉏><キ>
   <高><サン><日><サン><子><サン>
    <根><タラス>=<アレキサンドルス>
   という名が、
   明瞭に浮かびあがると、
   本講でも他の著書でもお話しした。

   しかしそれと<ソナカ>と
   どんな関係があるか?
    ということになる。

   お気づきと思うが、これにも、

   先に見た垂仁紀の記事に
   答があるのである。
 
 ⑨ 垂仁天皇の2年の記事には、
   <ソナカ>の名は
   <都怒我阿羅斯等>(ツヌガアラシト)、

   別名を
   <于斯岐阿利叱智干岐>
   (ウシキアリシチカンキ)
   というとであった。

   この<都怒我阿羅斯等>という当て字は、
   そのままでも「角が有る人」と聞こえる。

   しかし本当は日本語ではない。

 M.K記(責) 

転載元転載元: 歴史徒然:History Tsuredure


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