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こんにちは、ゲストさん
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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() 《応神の名はコンタか?ホンタか?》
加治木義博
大学院講義録09:16
話題を本題に戻そう。
こうして<讃と珍>の名がともにパーリ語で、
<兎のササ>と<天柱のツナ>であり、
それが沖縄方言化した
<チヌ>だったことがわかると、
次の倭王・済にとりかかる前に、
讃と珍の父・応神天皇の問題を
解決しておかねばならない。
なぜなら
戦後、唯物史観学者が
応神天皇とそれ以前を虚構だと
独断で義務教育から
抹殺してしまっているからである。
このことは本講では関連があるたび
繰り返し取り上げてきたが、
パーリ語との検証はまだだった。
それをここで最終的にお話しして、
応神天皇の実在を立証する
決定的な総括にしよう。
『日本書記』には天皇の身体に、
矢の容器の鞆=ホムタのようなコブがあるので、
<ホムタワケ>と呼ぶ解説があるし、
『古事記』は
<品陀天皇>と書いて<ホンダ天皇>と
読ませている。
だが
大阪府羽曳野(はびきの)市誉田(こんだ)の
天皇の陵は<誉田>と書いて<コンダ陵>
と読むし、
そこにあって天皇を祭る社の名も
<誉田八幡>と書いて<コンダハチマン>と
発音する。
どちらが正しいのだろうか?。
<コ>と<ホ>の関係は
<カ行>と<ハ行>の違いで、
<韓国>を<カン国>といい<ハン国>という
違いに等しいから、
<コンダ>は我が国型の発音で
<ホンダ>は朝鮮語型の発音である。
『記・紀』が
半島からの帰化人によって書かれたという説は、
この天皇名への当て字差をみれば
正しいようにみえる。
これを基準にする限りでは、
<品陀>と当て字した<太の安萬侶>は
半島出身だった可能性がある。
M.K記(責)
連絡先:090-2485-7908
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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() 《パーリ語だった誉田(コンタ)。八幡はパーリへの当て字から》
加治木義博
大学院講義録09:18
讃・珍と同じく、
これもまたパーリ語なのである。
Konta コンタとは旗や幡の類をいう。
八幡も8つの旗を意味するから、
まさしく<コンタ>を
漢字に意訳したものだったのである。
しかし
その八は何のためについているのだろう?。
すでに詳しくお話ししたように、
彼の都はいまの
隼人町(鹿児島県姶良町)にあった。
そこは卑弥呼時代の<巴利国>である。
この<巴利国>は
そのまま<ハリマ>と読めるから、
淡路と一緒に
兵庫県に移動したことが一と目でわかる。
<ハリマ>への当て字は<播磨>である。
<幡>も<播>も漢字音は<バン>だから
幡の代わりに播の字を使うと八播で、
これはパハリと読める。
日本語の古音は母音に<h音>を加える。
戦前までの振り仮名を見ると、
<悔いをクヒ>、
<箒をハフキ>、
<お前をオマヘ>と書いた。
これは
南九州語にいまも強く残っている発音で、
高千穂という地名も、
その南九州語では
武内宿祢を指す武内(タカチ)=タカチオーに
一致する。
これは他の記録にもよく合うので、
正解であり史実だとわかっている。
南九州では<パーリ>は<パハリ>なのである。
八幡とは、
この<パハリ>を<八播>と書いたものが
先に生まれたが、
後にそれと応神の名のコンタが複合して、
旗の意味の幡のほうが
専用されるようになっただけで、
もとは<八播>で、
その遺物が今の<播磨>なのである。
これで<応神>はなぜ<八幡>と呼ばれるのか?
という過去の大きな謎は完全に解け、
答えは完全に揃った。
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☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() 《半島出身の『記・紀』編纂者が立証する応神天皇実在》
加治木義博
大学院講義録09:17
また安萬侶の姓が
「太」という半島人型の一字姓であることも、
半島人の特質としてこれと複合してくるので、
彼が半島出身者だった可能性が一層有力になる。
するとさらに
国史編纂を天皇から任されたにしては
余りにも地位の低い理由が見えてくる。
彼はその出身地のために、
いかに文学の才能が優れていても、
高位には昇れない宿命を担っていたことになる。
だがそれ以上に重大なことは、
応神天皇の母である神宮皇后が、
新羅・百済を征服支配し、
そのあとを応神が継いで
半島に君臨していたという記事が
史実になる点のほうである。
『記・紀』は
双方ともそれをこの半島訛り型を気にせずに
記載しているから、
半島支配が事実だったことの強い証言になる。
それなら応神架空説など問題にもならない。
安萬侶らは<ホンタ天皇>の方が実在者で、
<コンタ天皇>など知らなかったからである。
また『記・紀』編纂責任者たちも、
そのことを少しも問題にしていない。
こうした問題も在来の日本史家は全然気づかず、
議論した者もいないが、
これは過去には考えられもしなかった
『記・紀』編集者たちの実態を、
このことがより深く、
より正確に教えてくれていると
みることができる。
これで<応神天皇>が実在者だったばかりか、
半島支配もまた決して架空ではなかった
可能性が一段と高くなった。
ではその本当の名乗り
「コンタ」とは一体?
何のことなのだろう?。
M.K記(責)
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奈良県明日香村の小山田(こやまだ)古墳(7世紀)の発掘調査で、県立橿原考古学研究所は31日、古墳の東西辺が長さ80メートルを超えていたと発表した。確認されている飛鳥時代の方墳としては、千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳(一辺最大78メートル)を超えて最大となる。被葬者を巡っては、舒明(じょめい)天皇(593〜641年)説と蘇我蝦夷(えみし=?〜645年)説があり、今後の議論にも一石を投じそうだ。 最終更新:1/31(木) 23:49
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