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こんにちは、ゲストさん
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『誰が巨大古墳を造ったのか目次』
☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() 日本誕生
誰が巨大古墳を造ったのか
加治木義博
《語源はマレー語とインド語》
百済は大阪から一足跳びに
朝鮮へ進出したのであろうか?
それならなぜ<モズミ>であった
百済が<クダラ>と
発音されたのであろうか?
<クダラ>は朝鮮にあった国だから、
朝鮮語なら国名の意味が解けそうに思う。
しかし、
何ひとつそれらしいものはない。
そこで方向を変えて
「馬」は何を意味するかを、
日本周辺の国々の言葉で調べてみた。
すると
マレー語に、馬を<クダ>
という発音があったのである。
マレー語は加治木著の
『邪馬台国の言葉』の附録として
日本〜マレー共通語小辞典を
つけておいたとおり、
日本語に大量に入っている言葉である。
馬韓の馬は、
この<クダ>に対する当て字とすれば
理解できる。
クダが馬を意味するとわかると、
大阪と朝鮮との中間に、
この両方の名を
一緒にもっている地名が見つかる。
山口県の西端、
下関の下はクダるという
訓(よ)みをもっており、
下関は一名、
馬関(ばかん)とも呼ばれてきた。
関(カン)の字も韓(カン)と同音だから、
ここはクダ韓であり
馬韓でもあったのである。
このクダ韓の名はさらに
下関から
後の百済の公州や扶余への
途中にあった国名に気づかせる。
それは『魏志倭人章』に、
「倭の北岸」という肩書きつきで
記録された[狗邪韓国]である。
この国は3世紀末現在の国で、
先にもお話ししたとおり
馬韓は弁辰とともに健在であり、
むしろ三国に君臨していた。
馬韓と狗邪韓とは別ものである。
しかも
倭のいちばん北の端の国と書かれ、
クジャ韓というクダ韓とは
わずかな発音差しかない
国名をもっている。
これは後に
馬韓を倒して<クダラ>としたと考えると、
大阪からの遠征よりはるかに
合理性をもっている。
「倭の五王時代の倭と百済と新羅と加耶」
朝鮮半島の植民地には、
元の本国であった
百済、新羅の名がつけられ、
ちょうど現在のニューヨークにある、
リトル・トーキョーや、
チャイナ・タウンといったものだった。
新羅の名は425年に初めて
倭王・珍の名乗りに現れる。
朝鮮半島:百済・加耶・新羅
倭:鹿屋(加耶)
M.K記(責)
連絡先:090-2485-7908
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![]() ☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() ![]() 《シュメルから来た名と、混入史実の分析》
※出典:加治木義博
大学院講義録28:07
<ラガシュ>の8代目の王の粘土板には、
王妃が<アダプ>国の王妃・
<エン・アグリダ・ティ>から贈物を受け、
錫と鉛と黄銅を返礼にしたと書いてある。
<アダフ>は武埴安彦の妻が阿田媛で、
<阿多>という地名が今も鹿児島県にあり、
それに「部」をつけたものに合う。
<アグリダ>という名も
ギリシャ・ローマの
<アグリッパ>、
<アグリッピーナ>になり、
我が国でも昭和初期頃まで、
南九州に多かった「アグリ」という名は、
義士で有名な播州赤穂の
浅野内匠(たくみ)の守(かみ)の
奥方の名も同じであった。
他に使用例のない名なので、
そのルーツがわかる。
播州は播磨で、
南九州の巴利国(マ)の人々の
拡大移動先であることは、
もう詳細に確認済みである。
次いで<ラガシュ>の王になったのが
<ウルカギナ>である。
彼は悪の温床になっていた
税制や、神官や、官吏。
軍人の横暴や横領を規正して
国民に聖君と讃えられた。
この王の名前もまた
崇神天皇の名乗りと合う。
<ウ>=<オ><御>、
<ル>=<ムァ>・<間>、
<カキ>=<城>、
<ナ>=<奴>、=御間城の天皇。
『日本書紀』は
崇神天皇12年9月、
はじめて人民を校し、調役を課す。
以て天神地祇和(なご)み、百穀みのり、
家は給し人は満ち足りて、天下太平なり。
故に称賛して「御肇国天皇」という。
とやはり聖君として讃えている。
これは「崇神紀」がウソなのでなく、
古い記憶または文献が挿入された際に
混入しただけで、
総て貴重な祖先の史実であることに
変わりはない。
M.K記(責)
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![]() ☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪![]() ![]() 《シュメル発の日本語群と日の出・日没への関心》
※出典:加治木義博
大学院講義録28:08
この王名の共通だけでなく、
当時のシュメル語と日本語の
共通語には次のようなものが確認できる。
宮司=サング、
参宮、南九州ではグッサン>いう。
商売人=シヤプガル、
人=グル(アイヌ語)。
大工=ナガル、
刀は片刃(カタナ)、
刃=ナ、
ナガル=刃人・刃物師だ。
自国民=ウッキン、内君、
ウチの大切な人たち。
その長(おさ)が大君・
ウッキン(南九州)。
王=エン、役(エン)の小角(オヅヌ)は
修験者たちの王(エン)。
修験という名もシュメルに通じるが、
その額(ひたい)に着ける
兜巾(ときん)も、
今もイスラエルの司祭が
全く同じものを看けるし、
また耳の前に
我が国古代の髪形・<ミヅラ>と
よく似た特殊な髪を垂れる。
これは彼等がバビロン捕囚時代に
身につけたシュメル文化の遺物で
当時のレリーフにも見られる風習。
イスラエル人だけのものではない。
しかし
この<ウルカギナ>王のとき、
<ウンマ>の軍勢が侵入して
<テラシュ>神殿などを襲い、
宝石貴金属を奪い放火して焼き払った。
この神殿名も「照す」で、
南九州には寺師(てらす)姓もある。
この時以後<ウンマ>は
侵略政策をとり続け、
50の都市国家を征服して、
日の出る<エラム>から
日の入る<シリヤ>
(尻国(ヤ)・後(しり)国)まで
シュメル全土に君臨した。
<エラム>は沖縄発音・
<イラブ>=<伊良部>、
南九州発音<エラプ>=<永良部>で、
この地名のルーツを物語るし、
尻の反対語の頭(かしら)によって、
頭に「選ぶ」という日本語が
このシュメル語から
生まれたことも理解できる。
M.K記(責)
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