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 しかし、やがて日米修好通商条約の調印を契機として安政の大獄が始まり、藤森弘庵は逮捕され、ついで十二月五日には松陰が投獄され、久坂玄随も元治元年(一八六四)七月十九日に禁門の変で戦死して、計画は頓挫してしまう。  しかし松陰は、牢獄に入っても、『清狂吟稿』の上梓を気に掛けていた。安政 六年といえば、彼の死去の年であるが、その四月十四日、夜、松陰 ...すべて表示すべて表示

  七 『清狂詩鈔』の出版 これほどにまで月性に信頼を寄せ、親交があったのだから、松陰および松下村塾中の者が早速に月性の詩集、即ち『清狂吟稿』を上梓することを企画するのは、当然すぎることだ。松陰は、安政五年六月一日、門弟の久坂玄随宛書簡に、 清狂吟稿二冊上梓して天地間に留め度しと同志中決議し候。口羽・久保等其の事を主どり候。叙は拙堂ヘ託す ...すべて表示すべて表示

さらに梁川星巌宛の七月二十四日頃、松陰書簡に、 右藩僧(月性)、慷慨、義を好み、天下を以て己が憂と為す者、僕相与すること甚だ深し。僕大罪の 余、痛く自ら閉鎖して敢へて知音に接せず、独り此の僧或は時に闖入す。関吏亦一時の権に従はざるを 得ざるなり。間々、談、先生に及ぶ。僕輙ち「転海書来已十年」の句を以て対ふ。僧点頭すること之れ ...すべて表示すべて表示



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