最新記事
吉田松陰と佐久間象山 (十二)
2019/9/2(月) 午前 0:13
嘉永六年十月二十七日、松陰が長崎に達したところ、露艦は既に去っており、彼の海外渡航の目的は達せられなかった。
十一月一日、やむなく松陰は、この日、長崎を発し、
、
十二月二十七日、江戸に到着する。
この年末から翌安政元年の正月の交、松陰が象山を訪れて、プチャーチンの船で渡航する計画が挫折したことを報告したことは、例の象山の山
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吉田松陰と佐久間象山 (十一)
2019/8/31(土) 午後 2:14
次いで、海外事情探索の方法は、ジョン万次郎の漂流を参考にすべきことを詳細に説く。
すると、土佐の漂流民万次郎が幕府の御召出しに預かり、御普請役にお取立された(嘉永六年)と承けたまわり、心中窃かに喜んだのは、「これまで、いずれの国へ漂流しても外国へ漂流とさえ言えば、その者は終身禁錮されるという御法であるが、万次郎ことは、メリケンへ漂流いたし、彼方に
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吉田松陰の竹島開拓論 (五)
2019/8/30(金) 午前 7:28
同書簡別紙には、また言う。
竹島・大坂島・松島、合せて世にこれを竹島と云い、二十五里に亘っている。竹島だけで十八里有る。三島とも人家は無い。大坂島には、大神宮の小祀が有り、出雲(いずも)地より海路百二十里ばかりである。産物は蛇魚類、良材が多く有り、開墾致すならば、良田美地もできるであろう。此島を、蝦夷の例に倣って開墾するよう命令なされ、下の者から願
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