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昨日のブログで、目加田誠先生と今関天彭翁が銭稲孫の家で出あったのは何時の事か、と書いたが、その後、目加田先生の「銭稲孫先生のこと」(『目加田誠著作集』第八巻『中国文学随想集』)を読みなおしたところ、「昭和八、九年のころ、チエン氏の邸に一年あまりやっかいになった」とあった。従ってお二人の |

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こんにちは、ゲストさん
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昨日のブログで、目加田誠先生と今関天彭翁が銭稲孫の家で出あったのは何時の事か、と書いたが、その後、目加田先生の「銭稲孫先生のこと」(『目加田誠著作集』第八巻『中国文学随想集』)を読みなおしたところ、「昭和八、九年のころ、チエン氏の邸に一年あまりやっかいになった」とあった。従ってお二人の |
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先生のブログを拝読してから銭稲孫のことを調べてみました。今まで名前しか知らなかった人です。銭氏は中国ではじめて『万葉集』と『源氏物語』(未完成)を訳した人で、同時にイタリアのダンテの『神曲』をはじめて漢訳した人だそうです。しかも『神曲』の訳は、『楚辞』にならって離騒体で訳したそうです。また西鶴の訳文は明清白話小説の妙を具えているといわれています。まさしく先生のいう所の「日本古典と中国古典の両方に精通」した人ですね。当時所謂「汪偽政権」において北京大学の学長をつとめたので、文革の際、「何も知らない若者になぶられ」たわけです。同時代の周作人も、当時偽北京大学文学院院長をつとめたので、悲惨な最期でした。今でも学者など少数派を除いて、周作人の文学価値を認める人は少ないでしょう。むしろ、「漢奸」である以上、文学どころか、人格に問題のある人は彼の文字も見る価値はないだろうという、半世紀以来の中国教育之怪現状と言えましょう。先生は暫し黯然となさいましたが、中国人のひとは、如何に感情を動かしたらよいのでしょうか。複雑でしかたがありません。
2009/10/13(火) 午後 5:48 [ 谷田 ]
前のコメントで「人格に問題のある」と書きましたが、その時代は「政治の立場」イコール「人格」であるという時代であったから、そういえるのではないでしょうか。「青崖が正月の筆始めとして安東県の辻札に書きそめる文章」は「怪しからん、侵略者の独りよがりだ」と批判する前に、まず自分の国のことを整理したほうがよろしいと存じます。文章より政治を優先する中国では、ますます文学の声が聞こえなくなり、空前の時代になりつつあります。泣きます。
2009/10/13(火) 午後 5:58 [ 谷田 ]
露にやつるゝ夏の蟲。おのが妻戀。
やさしやすしや。あちへ飛びつれ。こちへ飛びつれ。あちや東風ひた。
羽と羽とを袷の袖の染めた模樣を花かとて、肩に止ればおのづから。紋に揚羽の超泉寺。
露華濃、夏虫清痩;情真処、配偶相求。好不俊俏也風流!
粉蝶儿双飛双逗、這搭那搭、旖旎温柔;東風里、翩翩悠悠。
人家彩染的春衫袖、却当作花枝招誘;
並起双翅、悄立上肩頭、恰好似、仙蝶家紋天生就。
『曽根崎心中』の銭稲孫訳の一部です。
インターネットで中国語の訳文が見つかり、日研データーベースで原文に当たってみたのです。政治と文学との話よりは、こちらのほうが何万倍も面白いです。詰まった心も、これで暫し解放されてすっきりできました。
2009/10/13(火) 午後 6:45 [ 谷田 ]
こうなると翻訳のまた翻訳が必要ですね。この場合、やはり無理にでも訓読の。
露の華は濃く、夏虫は清く痩す。
情真なる処(とき)、配偶を相求む。好不(はなはだ)俊?運にして也(ま)た風流なり。・・・
とか。
2009/10/14(水) 午前 7:24 [ buk*u*007 ]
確かにそうですね。笑。銭氏の訳も古典となっているので、中国人でも現代語訳が必要になるのでしょう。もちろん、読む人がいるかどうかの問題もありますが。。。
2009/10/16(金) 午後 8:40 [ 谷田 ]