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正岡子規は、明治十七年(1884)には十八歳、東京に出ていたが、九月十一日には大学予備門に入学した。その頃「金碗八郎」と題し、副題には「八犬伝を読む」とある七言古詩を作ったと、九月二十九日付け竹村鍛宛て書翰(『全集』第十八巻)に言っている。その本文は、『全集』第八巻の「漢詩稿」102頁に見られる。
壮士揮斧蛾眉泣 壮士は斧を揮ひ 蛾眉は泣く
七夕論功賜食邑 七夕に 功を論じて 食邑を賜ふ
君前劈腹銀河傾 君前に 腹を劈(さ)けば 銀河傾き
落月西楼白気匝 落月 西楼に 白気匝(めぐ)る
清忠殺身真可悲 清忠 身を殺せしは 真に悲しむべし
幸有孤児継遺業 幸いに孤児の遺業を継ぐ有り
他日貧村狸乳狗 他日 貧村に 狸 狗に乳し
八顆玉散難収拾 八顆(くわ) 玉散じて 収拾し難し
、大飛錫六十州 丶大(ちゅだい) 錫を飛ばす 六十州に
終見英俊一堂集 終に見る 英俊 一堂に集まるを
妖魂英魄相糾纏 妖魂 英魄 相糾纏(きゅうてん)し
成就稗史二十輯 成就す 稗史(はいし) 二十輯を
『全集』の漢詩には、すべて富士川英郎による訓読が施されているので、それなりの漢詩文解釈力を備えている人には理解できると思われるかも知れないが、そういうものではない。詩に達詁無しで、詩の解釈は難しくて、解釈者によって様々の解釈が出て来る。まして『八犬伝』を題材とした漢詩の場合は、膨大な『八犬伝』の内容を熟知していて、それが詩の内にどのように詠み込まれているかを検討しなければならないので、なおさら厄介になるのである。そこで、上のような詩は、たとい訓読があろうとも、それだけでは理解できないので、子規漢詩を扱う手始めとして『八犬伝』を題材とした作品を扱おう、とするのである。
第一句は、『八犬伝』第五、六回、安房の長狭(ながさ)・平群(へぐり)二郡の領主であった神余長狭介光弘(じんよながさのすけみつひろ)の遺臣である金碗八郎孝吉(たかよし)が里見義実(よしざね)の応援を受けて、旧主の仇である山下柵左衛門定包(さくざえもんさだかね)を討ち、もと神余の側室で今は山下の女になっていた玉梓(たまずさ)を誅罰した話を詠じている。「壮士」は金碗孝吉、「蛾眉」は色香で男どもをたぶらかす玉梓を言う。
第二句は、第七回、嘉吉元年(一四四一)七月七日、長狭・平群を領有した里見義実が戦功のあった金碗孝吉に長狭の半郡を与え、東条の城主にしようとする設定を詠じた。「食邑」は、長狭の半郡を指す。
第三句の「君前に腹を劈く」とは、同じく第七回、金碗は、旧主の非業の死をきっかけとして自分が栄達する事を恥じ、これを辞退して、義実の前で切腹する、という筋を詠じたもの。「銀河傾く」とは、「七日の月は西に入り、・・・夜ははや亥中(ゐなか。午後十一時頃)になりにけり」という文を踏まえ、天の川が沈んだ様を指す。
第四句も、同じ場面の金碗八郎の自害について言うのであるが、「落月」は、すぐ上の引用部分、月が西に入るという様を踏まえており、「西楼」は、原文では特に西の高殿というような指定は無いのであるが、やはり上の西に入るを受けて、西に入る月を見ているのだから西の建物であろう、というほどの気持で、この語にしたのであろう。「白気匝る」は、金碗八郎が息絶えるや、「陰々として心火閃き、女子の像、影のごとく、大輔(だいすけ。金碗八郎の子)が身にそふて、かき消す如くなりにけり」と、玉梓の怨霊が大輔に取り付く設定が描かれ、その場面の挿絵には玉梓から発する白気が八郎の方に廻っている様が描かれているので、それを詠み込んでいるのだ、と考えられる。
第五句は、旧主神余の為に仇を討ち、徒に栄達を図るのではない事を示すべく自害する金碗八郎の態度を悲しんでいる訳である。
第六句も、第七回の最後、金碗八郎の遺児大輔孝徳(たかのり)が里見義実から八郎の後継者である事を認められ、後には亡父と同様に里見家に忠を尽くす臣となる、という展開を詠じたのである。
第七句からは、新しい展開を詠じ、狸が狗に乳を与えるとは、第八回、享徳二、三年(一四五三、四)の頃、長狭郡富山(とやま)の近くの村に狸に育てられた牡犬がおり、里見義実がこの犬を飼い犬とし、八房(やつふさ)と名付ける、それを義実の愛娘伏姫(ふせひめ)が大層可愛がる、と発展する筋を詠じた。「他日」とは、後日の意。即ち享徳二、三年頃である。
第八句は、八個の珠(仁・義・礼・智、忠・信・孝・悌)が自害した伏姫の腹の内から発した白気に包まれて飛散するという、有名な設定(第十三回)を詠じたのであり、「収拾し難い」とは、その珠が各地に散って、珠を帯びて生まれて来る筈の犬士の所在地も分からない、という構想を指しているのである。
第九句の「丶大」とは、金碗大輔の法名であり、これも第十三回、誤って伏姫を銃撃してしまった為に法体となり、丶大と名を改めた大輔が全国を廻って八個の珠の行方を捜索する、という展開を詠じた。「飛錫」とは、僧が錫杖を持って各地を行脚すること。六十州は、日本全国を六十余州と数えた事から日本全国の意。
うが、
第十句は、第百二十九回、それまで不揃いで数人単位で出会いと離別とを繰り返して来た八犬士が終に一堂(、大の結城の草庵)に会した事を言うものである。
第十一句は、『八犬伝』全体に亘る構想の特徴を要約したものであって、「妖魂」とは、この場合は悪玉、「英魄」は善玉をいうのであり、数多くの悪玉と善玉が入り乱れて縺れあう事によって筋が展開してゆく、という『八犬伝』の筋進展の型(パターン)を、なかなか的確に指摘し得ている。
第十二句は、第十一句に言うような筋展開法によって『八犬伝』全九輯百八十回が完成した事を言う。「稗史」は、小説を言う語で、馬琴ら江戸の作者は普通にこの語を用い、坪内逍遥も『小説神髄』にこの語を頻用している。そのように全九輯であるのに「二十輯」と言ったのは、実際には第七輯から上帙・下帙と引きのばされていき、第八輯も上帙・下帙、第九輯は上帙・中帙・下帙となり、それでも終わらずに下帙上刊・下帙中刊・下帙下甲号刊・・・と延々と延ばされ、最後の下帙下結局編刊まで数えると、ほぼ二十輯分になる、という考え方のもとに、そのように表現したものであろう。
こうして子規は、主に『八犬伝』第一輯に記される金碗八郎を中心として詠じたのであるが、それには勿論、該書の耽読があっての事である。それに就いて子規は、上に挙げた竹村鍛宛て書翰で、
八犬伝の書たる、無用の物にあらず。其の文の妙なる、其の趣向の面白き事、譬へ様なし。或は喜ば
しめ、或は感ぜしめ、或は泣かしむ。実に水滸伝も三舎を避けしむる位なり。且つ僕の詩と雖も、多
少の苦辛を要せしものなるが、若し其の人一生の事蹟を知らずしては水泡と同然、嚼蝋と一般、願く
は大和屋の八犬伝を一昼夜四厘にて御覧ぜられん事を。
と、その愛読家ぶりを披露し、自分の詩を理解するためには登場人物、即ち金碗八郎の人物像を知らなければ駄目だ、と述べている。だから、私の読解も金碗八郎の人物像の説明となるのである。ちなみに大和屋とは、松山の貸本屋の事であろう。
『八犬伝』を題材として漢詩を詠じた人には、橋本蓉塘が居り、『蓉塘集』に収められた二十四首を内田魯庵が紹介した(『日本名著全集 南総里見八犬伝』下巻「八犬伝談余」)が、子規のそれは数は少ないが、その系譜に連なるものである。ちなみに、蓉塘も「丶大」を詠じているから、両者の詩を比較して読むと面白いだろう、と思われる。
一つだけ蓉塘の詩が子規に影響を与えている、と考えられる例を指摘しておこう。蓉塘も「丶大」という題で七律を詠じているが、その第七句は、
明珠八夥都収拾 明珠 八夥 都(すべ)て収拾す
というものである。丶大が八犬士をすべて集合させた事を言うのであるが、これは、子規詩の第八句、
八夥玉散難収拾 八夥 玉散じて 収拾し難し
と語彙が多く共通している。と言う事は、子規が蓉塘の詩句を利用している、という事であって、子規は蓉塘の八犬伝詩に刺激されて、上の詩を作った、という事が明らかになる。蓉塘の詩の初出は、たぶん雑誌『新文詩』第 号(未調査)であろうが、子規はそれで蓉塘の詩を知ったのではなかろうか。
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有難うございます。宜しければ、何という雑誌の第何号にあるのか教えて戴けませんか。
2010/8/11(水) 午前 3:28 [ buk*u*007 ]
八犬伝に関する詩の出典は半分入手出来ましたが、有休がもう無いのと、所蔵図書館の夏休みで中断。全部揃えてからご紹介します。因みに橋本寧(蓉塘)さんのお墓は荒れていますが青山墓地に現存します。
橋本寧の伝記で通信制大学の卒論を書こうと準備中なのです。もっとも入学はかなり先…
暑い日が続きます。どうぞご自愛ください。
2010/8/11(水) 午後 7:54 [ 多 麻記 ]
お待たせする程の内容でも無いので、お伝えします。
古今詩文詳解明治18年162号〜169号で里見義成まで掲載されています。補 の部分が何号か?を捜索中です。
2010/8/16(月) 午後 0:57 [ 多 麻記 ]
洵に有難うございます。実は最近、自分のブログさえあまり見ていないほど余裕の無い状態ですので、御返事遅くなりました。橋本寧に御関心をお持ちの事、私も何かお礼に書ければ良いのですが・・・。とりあえず御挨拶まで。
2010/8/16(月) 午後 5:28 [ bukou2007 ]