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曾国藩と言えば、太平天国の反乱を鎮圧した儒将として名高い人物である。私は、太平天国の歴史にも曾国藩にも詳しい知識を持っていないが、たまたま購入した『曾文正公雑著』(四巻二冊。同治十三年、明治七年、一八七四、伝忠書局刊)を流覧していて、中の「保守平安歌」というのに眼を留め、読んでみると非常に面白かったので、これを翻訳してみよう、と思い立った。既にその翻訳があるのか、またその研究が存するのか、一切知らない。ただ、自己一身の楽しみとして、やってみるまでである。
それは、咸豊二年(一八五二、四十二歳。日本の嘉永五年)湖南湘郷の本籍で作られた七言古詩で、平和を維持するための歌、というほどの題であり、すべて三首ある。第一首は「逃走する莫れ」、第二首は「斉心を要す」、第三首は「武芸を操る」と題するものである。これらの長編詩は、どのような事情のもとに成立したか、彼の門人李瀚章・黎庶昌が編んだ『曹文正公年譜』(光緒三年、一八七七、申報館印)に拠って伺おう。
この年の六月二十四日、礼部侍郎であった彼は休暇を得て郷里を省し、七月二十五日には安徽の太和県の小池駅に在ったが、そこで母の江太夫人が六月十二日に亡くなった事を聞いた。彼は慟哭しつつ、舟を雇い、九江を西上して、郷里に急いだ。折しも、賊軍は長沙・湖南の各郡を犯し、匪賊を集める動きがあった。彼の故郷の湘郷には匪賊が最も多かった。県令の朱孫詒は治安に勤め、儒士羅沢南などに郷勇(土地の義勇軍)を団結させて訓練させていたが、曾国藩の父の竹亭も郷の豪家なので郷勇を総べていた。この時には郷勇は湘郷のそれが最も強力であった。八月十一日、彼は黄州に上陸し、十三日、武昌に到る。そこで彼は始めて湖北巡撫の常大醇から長沙を攻撃している反乱軍の事を聞いた。二十三日、家に到着、殯(かりもがり)を行う。賊は長沙に集まり、官軍も次第に集まって来た。九月十三日、江太夫人を家の後ろの山に葬ったが、時に賊は地下道から長沙城内に入り、官軍はこれを退けた。久しく平和が続いていたから、人心は怯え、流言が行われ、家族を率いて逃げ惑う。彼は家に郷里の人々を集め、彼らに「保守」(守備)と鎮圧の方法を教えた、と言う。すなわち、「保守平安歌」三首は、実にこの時に作られたもの、と考えられる。
先ず、第二首の「要斉心」から始めよう。
我郷本是安楽郷 我が郷は 本と是れ 安楽の郷
只要斉心不可当 只だ要す 心を斉しくして 当たるべからざるを
一人不敵二人智 一人は敵せず 二人の智に
一家不及十家強 一家は 及ばず 十家の強きに
?胃家有事我助?胃 ?胃(なんじ)の家に事有らば 我れ?胃を助けん
我家有事?胃来幇 我が家に事有らば ?胃来たりて幇(たす)けよ
若是人人来幇助 是くの若く 人人 来りて幇助し
扶起籬笆便是牆 籬笆を扶け起こせば 便ち是れ牆となる
只怕私心各不同 只だ怕(おそ)る 私心 各の同じからざるを
?胃向西来我向東 ?胃 西に向かひ来るに 我は東に向く
富者但願自己好 富者は 但だ自己の好きのみを願ひ
貧者却願大家窮 貧者は 却って大家の窮を願ふ
まず、ここまでを現代語訳しよう。
我々の湘郷は、元来、安らかで楽しい所だ。
ただ心を揃えさえすれば、何者も対抗できぬ。
1人は二人の知恵には当たれず、。
一軒の家は十軒が揃った強さにはかなわぬ。
そちの家に問題が起きれば、私が助力しよう。
私の家に問題が起きたなら、そちが助けに来てくれ。
そのように人々が助け合いに来て、
竹のまがきを強化すれば、屏となる。
心配なのは、めいめいが勝手に我がままして、
そちが西に向かうのに、私は東に向かい、
富める者は自分に良い事だけを願い、
貧しき者は富家が困るのを願う、という状態。
富者很心不憐貧 富者 很心にして 貧を憐れまず
不肯周済半毫分 肯て半毫の分をも周済せず
貧者居心更難説 貧者の 心を居くこと 更に説き難し
但願世界遭搶劫 但だ願ふ 世界の 搶劫に遭ふを
各懐私心説長短 各の私心を懐きて 長短を説く
彼此有事不相管 彼此 事有りて 相管せず
縦然親戚与本家 縦然(たとい) 親戚と本家なるも
也是?愛開不管他 也た是れ ?愛(ちゅう)開して 他に管せず
這等風俗実不好 這等(これら)の風俗 実に好からず
城隍土地都煩悩 城隍 土地 都(すべ)て煩悩す
万一隣境土匪来 万一 隣境に 土匪来らば
不分好歹一筆掃 好歹を分かたず 一筆に掃はん
富者銭米被人搶 富者の銭米は 人に搶(うば)はれ
貧者飯椀也難保 貧者の飯椀も 也た保ち難し
我們如今定主意 我們(ら) 如今 主意を定め
大家斉心共努力 大家(みな) 心を斉しくして 共に努力せん
一家有事聞鑼声 一家 事有り 鑼声を聞かば
家家向前作救兵 家家 向ひ前(すす)んで 救兵と作(な)らん
?胃救我来我救?胃 ?胃 我を救ひ来らば 我も?胃を救ひ
各種人情各還礼 各種の人情 各の礼を還さん
縦然平日有仇隙 縦然 平日 仇隙有ろうとも
此時也要解開結 此の時 也た要す 結を解開するを
金持ちは冷酷で、貧しい者を憐れまず
少しでも分かって賑わそうとはしない。
貧しい者が根に持つ事は、もっと言いにくい事で、
ひたすらこの世が顛覆されるのを願っている。
それぞれが利己心を抱いて勝手に論評し、
めいめいがしたい事をして他に取り合わぬ。
たとい親戚と本家とであっても、
やはり離れていて、関わらぬ。
こうした気風は、まことに良くない。
城隍神も土地神も、すべて困っていなさる。
もしも隣ざとの匪賊が攻めて来たら、
味噌も糞も一緒くたにして攻め滅ぼそう。
金持ちの金と米は奪われ、
貧しい者の飯椀さえ危ういであろう。
我々は今こそ決意して、
皆で心を併せて一緒に戦おう。
ある家が襲われて銅鑼の音が聞こえたら、
めいめいが向かって、兵となって救おう。
そちが我を救えば、我もそちを救い、
それぞれの贈り物には、それぞれに返そう。
たとい普段は仲違いしていようとも、
非常の時には、蟠(わだかま)りをほどこう。
(以下、次回に廻します)
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富者但願自己好、貧者却願大家窮。
貧者居心更難説、但願世界遭搶劫。
今になっても、詩に詠まれていたことが少しも変わっていない。
かなしい。
いや、貧者はすでに幸災楽禍の低次元から脱出して、富者になろうと必死に働いている、これでも、時代の進歩といえますかね。
富者も貧者も、お金しか考えていない国に向かって発展している。
曾国藩の詩を今の人に読ませたら、暇つぶしの打油詩と見て笑うことが想像されます。日本の川柳みたいになってしまいます。
今まで中国人に欠けていたユーモアが、だんだん高揚しつつあるようです。変な方向へ、ですけど。
2010/1/23(土) 午後 10:26 [ joso ]
訳が完成するまで暫時お待ち下さい。
2010/1/23(土) 午後 10:56 [ buk*u*007 ]