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玉麒麟盧俊義
燕趙慷慨徒 燕趙 慷慨の徒 燕や趙の悲歌慷慨する侠客に等しく、
江湖識名姓 江湖 名姓を識る 世間では彼の姓名をよく知っている。
胡不守三関 胡(なん)ぞ三関を守りて どうして国の将軍として重要な関所を守って、
能使烽煙浄 能く烽煙をして浄からしめざる 胡国との戦争を止めさせないのか。
盧俊義は、梁山泊第三位の人物ゆえ、三番目に彼が登場します。彼は、北京大名府の富豪である上に、武芸に優れ、玉麒麟という仇名が示すように風采も良いので、天下に名が知られています。彼のキャラクターは、百二十回本『水滸伝』の詞(第六十一回)に、
慷慨して財を疎(うと)んじ義に仗(よ)り、
英名を論ぜられて乾坤に播満す。
とありますが、起承二句は、その事を言ったものです。
そのように将軍としての器量があるので、政府軍の武将として登用されれば、立派に戦功を挙げたでしょうが、事、志に反して梁山泊の盗賊の仲間に入れられてしまったので、転結二句は、それを惜しんでいるのです。
付言すれば、彼は、最後には、酒に酔い、また悪官僚高?姥らに水銀を飲まされたため淮河に落ちて死にますが(第百二十回)、我が曲亭馬琴は、そうした死に方は、彼の仇名の俊義に暗示されている、という説を述べています。すなわち、俊義は「美貌第一の漢(おとこ)」だが、その俊義とは山鳥の「?謫ぎ」に通じ、「山鶏(やまどり)は、おのが影を愛して、溺死するもの」だから、彼の溺死は、その事を投影させているのだ(『玄同放言』三 四十一「金聖嘆を詰る」)、と言うのです。これは、馬琴の名詮自性(みょうせんじしょう。名は体を表わす)説に基づいた考えですが、本場の中国の方でも言っていない説と思われ、前人未発の奇想だと評価できましょう。
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