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 会津藩士秋月韋軒は、昌平黌に学んだ本格的な儒者ですが、明治元年、若松城が官軍に包囲され、降伏した際に、軍事副奉行として、その降伏決定にも大きく関わった人です。私は、『江戸風雅』第五号に「会津儒将 秋月韋軒伝」を載せる予定ですが、その一部、若松城が落城した直後、韋軒が用命を帯びて越後の水原に潜行する時に詠じた詩の部分を挙げておきましょう。

 明治元年十月六日の直後であろうが、韋軒は藩命により、水原の奥平謙輔の元に潜行し、会津藩の減刑を陳情する事になった。それと同時に白虎隊士であった山川健次郎(後に物理学を学び、東京帝国大学総長になる)・小川亮(近衛師団工兵大隊長)という有為の二少年を謙輔に託するという用命をも帯びていた。危険を冒して僧侶に先導され(山川健次郎『会津戊辰戦史』)、戸ノ口原を過ぎた。ここは白虎隊の少年戦士らの激戦の跡だ。藩士の死骸は葬る事を許されなかったので、まさに死屍累々、悲惨な状況を呈している。こうした様を詠じた詩が「猪苗代に屏居す。故有りて潜行し戸口原を過ぎ、往往戦屍を見る。悲嘆に堪えざる者有り」(『遺稿』一)である。

  戦骨未埋堪断腸  戦骨 未だ埋めず 断腸に堪ゆ
  回頭歩歩侭商量  頭を回らし 歩々 商量に侭(まか)す
  書生所策果何事  書生の策する所 果たして何事ぞ
  呑涙潜行出故郷  涙を呑みて 潜行し 故郷を出づ

  戦死者の屍は埋められていなく、腸が断たれる思いだ。
  馬上で一歩づつ振り返って見ながら、あれこれ考える。
  書生の私が、いったいどんな事を画策してきたのかと。
  涙をこらえながら潜行して故郷を出る事だ。

 武人でもない自分が戦略などに関わって多大の犠牲者を出した。自分のやって来た事は、果たして正しかったのか。大きな悔恨に沈みながら韋軒は故郷を後にする。

 上の詩は、落城後の惨状を詠じた、日本では数少ない作品でしょう。


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