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近著の後書きです。
後書き
本書は、曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』全百八十回の荒筋を紹介し、話の典拠を説明し、特に名場面とされている部分は抜き出して、その現代語訳を掲げ、すべての口絵と挿絵とを掲載し、口絵には解説を添え、挿絵の説明句をすべて翻字したものである。口絵とは、各輯(平均で十回五冊)の冒頭に平均三丁ほどの分量で置かれる登場人物像であり、挿絵とは、各回に平均で二図ほど挿入される場面の絵である。
筆者は、今を去る三十年、一九八七年七月にほるぷ出版から刊行された日本の文学古典編四五『南総里見八犬伝』において、全部の荒筋を紹介し、名場面の原文を挙げて一応の注釈を施し、現代語訳をも添えたが、この度は荒筋に些か改定を加え、表記を部分的に改め、原文と注釈は除き、それに代えるに典拠の指摘、及び口絵と挿絵の全ての掲載を以てしたものである。
原文と注釈とを除いたのは、別に勉誠出版から本作全部の注釈を刊行する企画が存しているからである。
口絵と挿絵の全てを掲載するのは、勿論、読者の眼を楽しませるためにであるが、換言すれば、『八犬伝』においては口絵と挿絵とを読むという事が従来なおざりにされているからである。挿絵を本文の読解の補助として活用することは、西鶴の浮世草子や秋成の『雨月物語』、または寛政の改革を扱った『文武(ぶんぶ)二道(にどう)万(まん)石通(ごくとおし)』などの黄表紙等に於いてはよく行われる研究方法である。しかし、『八犬伝』の場合においては、膨大な本文を読むのに精力を奪われがちで、口絵を解読し、挿絵を玩味する方にまでなかなか手が廻らないのが実情である。
しかし、馬琴自身が下絵を考案し、それをプロの浮世絵師に整斉させる口絵には凝った構図が用いられていて、何か裏面に含意が潜められていそうなものが多いのである。たとえば、第一輯の冒頭の里見義実が巨大な鯉に騎る図はどういう事を含意しているのか、その次の丶(ちゅ)大(だい)和尚と八童子の白地蔵(かくれあそび)は、唐土のそれの構図を踏まえたものだが、それによって馬琴は何を言おうとしているのか等々の問題がある。これらは冒頭に在って目立つだけに、言及しているものが無いではない。が、それが適切な解釈か否かは検討の余地がある。あるいはまた、本文で描かれているものとは別のイメージを重ね合わせるために全く別の世界の構図を用いる(下巻二四一頁の三浦義武図は義経千本桜の、二四二頁の箕田后綱図は羅生門伝説の構図を踏まえる)など、口絵には謎絵が多いのだが、それらを適切に解読した、まとまった研究は、希少なのである。その解読には日本の古典や漢詩文は勿論、更には説話・演劇・民俗学・名物学など様々な方面の知識を必要とし、現代の我々が独力でそれらの全容を明らかにすることは極めて難しい。
また挿絵だが、一回に付き平均二図あるとして総計約三六〇図、それらは口絵と同様に馬琴自身によって下絵が描かれ、プロの浮世絵師が整斉したもので、
勿論本文を説明補足するものであるが、さらには本文には言表化されていない事すら表わそうとしている場合が少なくない。それらを解明するためには最初の手掛かりとして作者自身によって表明されている説明句を読み取らなければならないのだが、従来の良心的な翻字本ですらこれを翻字してはいないのである。況や約三六〇図全てに亘ってこれを翻字したものは皆無であるに於いてをや。従って、先ずはすべての翻字を行う必要がある。
そうした訳で、本書においては口絵の解読と挿絵説明句の翻字とに精力を傾けた。しかし、前述した如く、口絵の謎を全て適切に解明するのは難事業である。本書で私が試みたことは、稀有なる企図であるから、足りない点は色々あろうが、それらは今後の課題として後世の人々に遺しておこう。また、挿絵の読解に就いても、説明句の翻字の外に更に説明を要する場合が多いのだが、スペースの都合でそれは果たせなかった。
典拠に関しては、『八犬伝』に代表される読本(よみほん)とは典拠を翻案する文学であるから、確実にそれと認められるものをなるたけ多く指摘することに心掛け、特に影響が大きかった『水滸伝』と『三国演義』のそれには留意した積りであるが、漏らしているものも少なくないことであろう。読者各位の御示教を待つものである。
挿絵の配置などに就いては編集部の竹内可夏子さんたちの手を煩わせました。題名の「浮世絵師の絵で読む」という形容句は、池嶋洋次会長の発案です。記して謝意を表します。
平成二十九年五月六日
徳田 武
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