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 『丙辰日記』は安政三年八月二十二日から十二月二十日までの記録であり、外叔久保五郎左衛門、兄梅

太郎や佐々木亀之助・梅三郎兄弟、高洲滝之允・従弟玉木彦介などの親戚や諸門人たちとの講書記録とも 
いうべきものである。それに拠れば、この時期、松陰は『陰徳太平記』を読んでいる。

 該書は、周防岩国 吉川家の老臣である香川正矩(まさのり)著、同宣阿補。正徳二年(一七一二)、京

都、有春軒刊。八十一巻四十一冊。延徳二年(一四九〇)に足利義植(よしたね)が十代将軍となったこと

に筆を起こし、慶長三年(一五九八)、豊臣秀吉の病死によって日本軍が朝鮮半島から撤兵するまで、およ
そ百年間の畿内・中国・四国・九州諸国の動乱を記録した作品である。とりわけ大内・毛利・尼子・吉

川・小早川等の中国地方の大名の興廃を扱い、なかんづく毛利の功業を特筆するのだが、それを読む事は

松陰にとっては地元の領主たち、自藩の先祖の歴史をたどることになり、必要なことであっただろう。こ

の厖大な長編軍談の内には、面白い戦術譚が収められている。たとえば、巻二「尼子経久(つねひさ)立身

之事」では、文明十七年(一四八五)十二月晦日、尼子経久と山中党が烏帽子・素袍を着用し正月の万歳

(まんざい)に変装して敵の眼を欺き、富田(とだ)城に入り込んで城を奪回する、といった戦術を記す。こ

の戦術は、上田秋成の読本『雨月物語』「菊花の約(ちぎり)」の挿絵に反映されているほどに面白いもの

で、松陰と高洲滝之允は九月二十二日に該書の巻二、三を読んでいるから、当然この戦術譚をも読んだ筈

である。そして、兵学家の松陰は、この奇襲に感ずることがあったのではなかろうか。


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