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三月二十一日には京都伏見に到達した。そこから郷里の父の杉百合之助、叔父の玉木文之進、兄の杉梅太郎に宛てた書簡に言う。

  (前略)
二に、矩方儀、道中恙(つつが)無く、当駅に着き仕りました。初五に発程以来、足
痛も余り病み申さず、竹笨車(ちくほんしゃ)に乗りました事は、僅かに二度だけでございま
す。且つ中谷翁が起居飲食の微に至るまで、毎度配慮致しくれます故、大い
に都合よい事です。憚りながら御安心願い奉ります。道中は結局雨勝ちでご
ざいますので、お国など如何であろうかと懸念しております。しかし菜や麦
の様子など、どの国も宜しく、米価も下落とかで、一段の事と存じておりま
す。次第に暖かくなりますが、御体御大切の事、専ら祈り奉ります。その外
は後便を期しております。恐惶謹言
    三月二十一日 
             吉田大次郎矩方拝具
一、殿様、御癪痛(しゃくつう)の由(よし)にて、過ぐる十八日、兵庫お昼休み所へすぐさまお
留まり遊ばされ、私どもは兵庫と五里隔たる西宮(にしのみや)へ参り居り、その様子
を承けたまわり、大いに懸念仕りましたが、早速お直り遊ばされ、十九日、
兵庫を御出発なされました。以後はいよいよ御快調の由、恐悦至極に存じ
奉ります。

  一、湊川にて楠公の墓を拝し、壱歩を出しまして、朱舜水が撰した賛、碑面
   の「嗚呼、忠臣」云々の石刷りどもを購入致しました。帰国の節、お眼に
   掛けましょう。
一、別紙は、明石の大砲の安置に就いて悟った事を記したものです。御覧を
    祈り奉ります。

 竹笨車とは、竹製の粗末な籠の事である。中谷翁とは、中谷忠兵衛のことで、松陰の門人である中谷正亮の父である。道中、その食客という格になり、飲食などの世話になったのである。
 本書簡で注目すべき事は、三月十八日、湊川(みなとがわ)で楠正成の墓を拝して、朱舜水が撰した墓碑に刻まれた「嗚呼(ああ)忠臣楠氏之墓」の拓本を比較的高い値段で購入している点に見られるように、松陰の勤王心が記されている事である。

朱舜水は明の遺民で、滅びゆく明のために抵抗運動をした忠節心が徳川光圀(みつくに)に認められ、水戸藩に抱えられた人物である。その彼の筆跡で墓碑の表には「嗚呼・・・」という八字が刻され、裏面には碑文が刻されている。楠正成は、言わずと知れた南朝の忠臣である。そうした和漢の勤王の大物が組み合わされた物であるから、この碑は大いに人気を呼んで、広瀬旭壮がその日記『日間瑣事備忘』天保十一年十月朔日に「来りて墓に謁する者、日々千を以て数う」と記している事から窺われるように、その拓本を購入する人々も多かったのであるが、松陰の場合は単なる好奇心では無く、衷心からの敬意に基づいて購入したものである。

その証拠には、三日後の二十一日、彼は「楠公墓下の作」と題する悲壮な長編古詩を作って、この度の記録である『東遊日記』に書き付けているのである。彼は生涯に四度、楠氏の墓を訪れたというが、これはその初度のものであったろう。


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