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話は少し遡って、象山が松陰に海外事情探索を勧めた経緯を、象山の資料に拠って見てみよう。

その経緯が象山の側から詳述されているものが翌安政元年四月二十七日、獄中に在った彼が松代藩の山寺常山及び三村晴山に与えた左記の書翰である。彼は先ず松陰の人となりから説き起こす。

吉田生と申す者は、当年二十五歳の若者ではあるが、元来、長州藩の兵家の子にて、漢書(かんしょ)をも達者に読み下し、胆力もこれ有り、文才もあって、よく艱苦に堪える事は、生得の得手(えて)にて、海防の事には頗る思いを悩ませ、萩藩の兵制の事にも深く心を入れ、存寄(ぞんじより)の次第を書立て、その筋へ申し出でた事も度々(たびたび)有り、私の門人にも多くはいない、忠直義烈の士であります。

 右の段は、松陰の人となりを指摘したものである。それらは第一に、漢籍を達者に読み下すこと、漢文の読解力があることをいう。第二に、文才があること、漢詩文を作る力があることを述べる。第三に、胆力があり、よく艱難に堪えることを指摘する。第四に、海防兵制に関心が深く、藩にたびたび建策していることを説く。


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