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吉田松陰の嘉永四年五月十四日付け杉梅太郎宛書簡に、
高山彦九郎伝、武士たるものの亀鑑、此の事と存じ奉り候故、さし送り申し
候。即ち水府会沢常蔵の著はす所に御座候。本藩義勇の衆へも示し候はば、必ず感激発励する所之れ
あるべきかと存じ奉り候。此の度、藤井多吉、御国罷り帰り候に付き、日記・伝とも相頼み差送り申
し候。
と、「高山彦九郎伝」に感奮し、これを萩にいる兄のもとに伝送させている。ただし会沢に高山伝があ
るというのは、松陰の誤認ではなかろうか。
江戸時代における高山の伝記を集めた『高山操志』(金井之恭編、明治三年刊)には、頼襄の「高山彦
九郎伝」、斎藤正謙(拙堂)の「高山正之伝」、杉山忠亮の「高山正之伝」、塩谷世弘の「高山正之
伝」、菅晋帥の「高山彦九郎伝」等を収めているが、会沢のものは無い。『国書人名辞典』や『日本古
典籍総合目録データベース』もまた同じである。水戸の学者杉山忠亮(ただあき)の「高山正之伝」の
ことを誤ったのではなかろうか。
ネットには会沢の著と信じたままで記載しているものが多いのだが。
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