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吉田松陰と『八犬伝』
天野御民が松陰の思い出を述べた「松下村塾零話」(『吉田松陰全集』第十巻、関係雑纂)にいう。
先生嘗て門人に語りて曰く、「支那の金聖歎が水滸伝を著はすや、百餘の人を以て組み立てたり。 我が邦の馬琴が八犬伝を著はすには僅か八名を以て編成せり、是れ馬琴の力優れる所なり」と。
右は松陰の数少ない稗史小説論として貴重なものである。『水滸伝』は、百八人の豪傑を梁山泊に集 めた。が、これを粉本とした曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、主人公を八犬士とした。そうした縮約 の筆法を松陰は評価したのである。
その理由を彼は語ってはいないが、推測するに、百八人もいると一人一人の行動や性格がじっくり描 けない、取り分け最終的にどういう運命をたどるのかが追及しきれない、という辺りに在るのではなか ろうか。たとえば、『水滸伝』の冒頭の回にかなり重い比重をもって描かれる王進は、その後はぱった りと現れなくなってしまう。つまり、王進伝の結末が無い。馬琴は、こうした欠陥を「立ち消え」と称 して批判している。言い換えれば、最初と最後の照応が緊密でない、ということだ。建部綾足の『本朝 水滸伝』も、主要人物が多い余り、この照応には失敗している。そこで、馬琴は、照応ということに非 常に配慮して、八犬士の生涯を漏れることなく、緊密に描き切った。そうした構成上の緊密さを松陰は 評価したのではなかろうか。
この八人に縮約するという構想を立てるに当たって馬琴がヒントにしたもの
は根本武夷の水滸翻案小説である『湘中八雄伝』(明和五年、一七六八刊)に在るであろう。馬琴が常 時利用した辞書『書言字考節用集』名数に「里見八犬士」として、八犬士と同姓の者が挙げられている ことも、直接の原拠である。
しかし、新説を立てたいというのが研究者や評論家たちの癖であるから、近年は「八仙渡海」伝説な どの珍奇な説を提案する者もいる。だが、よほど確実な証拠が無い限りは、この「八」という数の原拠 については慎重な態度を持すべきである。
平成三十一年二月二十日
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