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夏目漱石と『八犬伝』
漱石の明治二十八年十一月二十二日付け正岡子規宛書簡に見える句(和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』岩波文庫、一七六頁)に、
乳兄弟名乗り合いたる榾(ほた)火(び)哉
というものがある。榾とは、囲炉裏や焚火などにくべる木をいい、榾火とは、この場合、後述するように囲炉裏の火のことである。一応の句意は、産みの母こそ異なるが同一の女性から乳をもらって育った者同志が囲炉裏の火の前で出会って、身元を明かし、名乗り合うことだ、というものになる。
何か小説や劇などの場面を踏まえて作った句であるように思えるが、これに就いて特に注したものは無いようである。
しかし、私にはすぐに連想するものがある。曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』第四十七回の荒芽山の場面だ。その荒筋は、次のようなものだ。
八犬士の一人である犬川荘助が仲間とかねて落ち合う先と定めていた荒芽山の音音(おとね)の家に やって来る。音音は荘助の正体を試そうと、彼に留守を預けて出かけてしまう 。あとに残された荘 助は、火も消えかけた囲炉裏の前で、まっ暗な中を待っている。そこに、音音の家を宿所としている 犬山道節(やはり八犬士の一人)が帰り来り、二つの包みを戸棚に入れてから、暗闇の中を壮助の向 かいの席に坐った。この時、囲炉裏の火が燃えあがり、荘助と道節は一瞬顔を見合わせて、たがいに 身がまえる。
が、去る六月十九日に円(まる)塚(づか)山のほとりで道節の顔を見知っていた荘助は、道節を押し止 めて、お互いの牡丹の痣(あざ)と珠とが似ていることを示し、二人が宿世の兄弟なることを説明す る。
『八犬伝』では、荘助と道節は、産みの母こそ異なるものの、元来はともに伏姫の胎内から世に出でた者同志であるから義兄弟である、という設定になっている。つまり、乳兄弟であるともいえよう。この両人が真っ暗な中、一瞬燃え上がった囲炉裏の火で顔を見合わせて、やがて義兄弟であることを確認しあう。これこそ、乳兄弟が榾火の前で名乗り合う場面でなくて、何であろう。つまり、漱石の句は、『八犬伝』第四十七回の荒芽山の場面を踏まえたものなのだ。
暗闇に一瞬燃え上がる囲炉裏の火で顔見合わせるという場面は、浄瑠璃『刈萱(かるかや)桑門(どうしん)筑紫(つくしの)𨏍(いえづと)』五段目の女之(おんなの)助(すけ)と予(よ)次(じ)の出会いにヒントを得たといわれ、馬琴の読本(よみほん)にはしばしば用いられる演劇の「だんまり」の趣向である。馬琴はこれを少しく変えて義兄弟(乳兄弟)の出会いとした。だからこそ漱石は「乳兄弟」の語を用いたのである。
そして漱石が意図したものは、微小な存在ではあるが、人間の重大な運命が決定される際に霊妙な働きをする榾火というもの。その存在の不思議さを表したくて、この句を詠んだのではなかったか。
それはともかく、漱石が、このような句を作るほどに『八犬伝』の話と場面とを知っていたことが、この句によって分かるのである。ほかの小説にかような場面があるのか、私の狭い読書範囲ではちょっと思い当たらず、また当時の『八犬伝』の盛行状況から考えても、漱石が『八犬伝』を意識していたことは十二分にあり得るのである。彼が『八犬伝』を読んだのは、たぶん少年の頃であったろう。あの厖大な小説をどの程度に読んだのか、詳細は分からないにしても、彼の読書経歴に江戸小説の有数の傑作を加えることが出来て、私は欣快を禁じ得ないのである。
そういえば、漱石は、同じ二十八年の十二月十八日付け、子規宛て書簡にも、
梁山泊毛脛(けずね)の多き榾火哉
裏表濡れた衣(きぬ)干す榾火哉
と、二句の榾火に関する句を詠じていた。前の句は、『忠義水滸伝』第二十回で、梁山泊に豪傑たちが集まり、林冲が晁蓋を頭目として立て、十一人の豪傑の席次が定められた場面などの様子を想定して、こう作ったものであろう。他の回にも豪傑たちが集合する場面があるけれど、一応、第二十回にしておく。その場面を想像するに、豪傑たちは、いずれもむくつけき荒武者なので、毛むくじゃらの脛を露わにしているのであるが、そうした彼らが囲炉裏の火を取り巻いて、酒を痛飲しながら談笑している。そうした光景を漱石は形象化し、ここでも榾火が醸し出す親愛感に焦点を当てている。
子規は『水滸伝』の愛読者であるし、このような男性的でドラマティックな情景が好きなので、点の辛い彼にしては珍しくこの句に〇印を与えている。佳作というほどの評価である。
次の句は、平凡な情景を平板に詠じた感があり、子規は〇を与えていない。にしても、漱石が榾火に愛着を懐き、これをよく題材とする傾向があったことが以上の三句を通じて指摘できるのである。
上図は、『八犬伝』第四十七回の挿絵「枯草おのづから燃て山川愕然たり」。
平成三十一年三月五日
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