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夏目漱石と林和靖
おととしの二月の末、妻と中国は杭州の西湖に遊んだ。湖中に在る孤山は小さな島だが、宋のいにしえ、詩人の林逋(りんぽ)、諡号(しごう)は和靖(わせい)(九六七―一〇二八)が隠棲した所だ。彼が梅と鶴を愛したことは有名だが、孤山にはやはり梅林があった。林和靖のゆかりの梅だと思えば懐かしく、普段に梅を見るのとは一入ゆかしい気持ちで眺めたことだった。
『林和靖詩集』(貞享三年和刻、茨城多左衛門刊)に見るように、彼は勿論、梅の詩をよく作ったが、「山園小梅」と題する七律の頷聯「疎影横斜水清浅、 暗香浮動月黄昏」(疎影横斜して 水は清浅、暗香浮動して 月は黄昏)という句は、とりわけ有名で、和漢ともに梅の詩で、この両句を典拠にしている作は非常に多い。梅のまばらな枝の影が水面に斜めに横たわって、浅い水は一層に清く、ほのかな香りがただよって、黄昏の空に月がかかっている、という描写が梅の生態をよく捉えていると同時に読者の想像をも喚起するからであろう。
ところで、夏目漱石の明治二十九年一月の句に、
鶴獲(え)たり月夜に梅を植えん哉
というものがある。松山に住んでいた漱石が同月二十八日に下谷の正岡子規に宛てた書簡に見えるものである(『漱石・子規往復書簡集』二〇一頁)。一読、鶴を好み、梅をも愛好する人物の句、ということが分かる。それならば、林和靖と同様だ、という事になる。林和靖を憧憬する人物を詠んだ、否、もっと踏み進んで、林和靖その人のことを詠じたのだ、とまで言えよう。それは、松尾芭蕉が、
梅白し昨日(きのふ)や鶴をぬすまれし (『野ざらし紀行』)
と詠んだ句にも似て、梅と鶴を抱き合わせにするのが林和靖を題材とする場合の定型であることを知らしめる。
ここで、林和靖が梅と鶴を愛したという説の出所を確認しておこう。実はこの説は正史たる『宋史』四百五十七、隠逸列伝、上「林逋」には、どこにも書かれていない。鶴に関しては、同じく宋の沈(しん)括(かつ)著『夢溪(むけい)筆談』卷十·人事二に、
林逋隐居杭州孤山、常畜両鶴、縦之則飛入雲霄、盤旋久之、復入籠中。逋常泛小艇、游西湖諸寺。有客至逋所居、則一童子出応門、延客坐、為開籠縦鶴。良久、逋必棹小船而帰。盖嘗以鶴飛為験也。
(林逋は杭州の孤山に隠居し、常に両鶴を蓄え、之を縦てば則ち飛びて雲霄に入り、盤旋すること之を久しゅうし、復た籠中に入る。逋は常に小艇を泛べ、西湖の諸寺に游ぶ。客有りて逋の居る所に至れば、則ち一童子出でて門に応じ、客を延きて坐せしめ、為に籠を開きて鶴を縦つ。良や久しゅうして、逋 必ず小船に棹さして帰る。蓋し嘗に鶴飛ぶを以て験と為す。)
という説話が見える。これは江戸期に盛行した類書『古今事文類聚』(寛文六年(一六六六)和刻)後集四十二にも『筆談』から引かれている。
梅を妻とするという話は、『大漢和辞典』などが引く宋の阮閲の『诗話総亀』後集十九、隐逸門には該当する記載が見当たらない。私が確認し得たものは、『漢語大詞典』の清、呂留良等の「和靖詩鈔序」以外には、一つは明の田汝成の『西湖游覧志』孤山三堤勝迹、放鶴亭の次の記載である。
至元間、儒学提挙余謙既葺处士之墓、復植梅数百本于山、構梅亭于其下。郡人陳子安以处士無家、妻 梅而子鶴、不可偏举、乃持一鶴、放之孤山、構鶴亭以配之。
至元の間、儒学提挙余謙既 处士の墓を葺(ふ)き、復た梅数百本を山に植え、梅亭を其の下に構う。 郡人陳子安 处士の家無く、梅を妻として鶴を子とし、偏えに举ぐべからざるを以て、乃ち一鶴を持 ち、之を孤山に放ち、鶴亭を構えて以て之に配す。
すなわち、後人が梅亭・鶴亭を造ったという。二は、同じく明の個性派文人たる袁宏道の散文「孤山」(『袁宏道集』十「解脱集」三)に、
孤山処士、妻梅子鶴、是世間第一種便宜人。
孤山処士、梅を妻とし鶴を子とす、是れ世間第一種の便宜の人なり。
というものである。林和靖が独身であることを指して、たいそう生活智がある人と賞賛するのである。この後に袁宏道は、我々は妻という存在に足を引っ張られて大変だと愚痴をこぼすので、思わず笑ってしまうのだが、それはさて置き、これらの文章を漱石が知っていたとは思えない。
しかし、漱石が妻梅子鶴の説話を知っていたことは、明治三十二年二月に子規に与えた梅花百五句に、
寒(かん)徹(てつ)骨(こつ)梅を娶ると夢みけり (『漱石・子規往復書簡集』三二六頁)
によって明らかである。寒さが骨にまで通る夜に林和靖同様に梅を娶る夢を見たなあ、という句であるからである。
では、漱石は何によって妻梅子鶴説話を知っていたのか。それは絵画によってではないかと、今の所、私は考えている。たとえば、江戸時代の有名な画家である英一蝶に「梅妻鶴子図」があるが、それらの絵画はネットでも見られるほどに流通していたようであり、漱石の眼に入る可能性は大きかったろう、と思う。
ほかに漱石には、やはり梅花百五句の中に、
梅に対す和靖の髭の白きかな (『漱石・子規往復書簡集』三三一頁)
という句もあって、彼の林和靖に寄せる景暮には、なかなか深いものがあったようである。この句には、子規は〇の内に圏点印を与えており、相当な佳作と認めたのである。素直な詠みぶりの内にも高潔な隠者林和靖にたいする親愛感が籠っているからであろうか。
平成三十一年三月二十一日
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