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夏目漱石の東京専門学校排斥騒動と漢詩
一 「奇禍」とは何か
明治二十八年五月二十八日、松山に赴任して間もない漱石は、子規に宛てて「近作数首、拙劣ながら御目に懸け候」と断って、無題の四首の七律を送っている。
そのいずれも、
吉川幸次郎著『漱石詩注』(岩波文庫。二千二年九月。五十頁以下)
和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』(岩波文庫。百四十六頁以下)
で見られる。
それらの詩を読んで注目させられることは、いずれも、自分が世間の批判を浴びて孤立していることに言及する句を含んでいることである。例えば、第一首の第二句には、
(1) 不顧人間笑語譁 顧りみず 人間(じんかん) 笑語譁(かまびす)すしきを
といい、第二首の頸聯には、
(2) 才子群中只守拙 才子 群中 只だ拙を守り
小人囲裏独持頑 小人 囲裏 独り頑を持す
とあり、第三首の第八句では、
(3) 愧為読書誤一生 愧ずらくは読書の為に 一生を誤まるを
と結ばれ、第四首の第六句には、
(4) 白眼空招俗子咍 白眼 空しく招く 俗子の咍(わら)いを
と述べる。
これらの外に同年五月三十日、やはり子規宛てに送った七律「無題」の第七句にも、
(5) 一任文字買奇禍 一(ひと)えに任す 文字の奇禍を買うに
という句が存する。これらは要するに、学問が禍を為したことを言っている、と解せる。そして、これだけ執拗に孤立感や挫折感を繰り返していることを見ると、
「何かそうした事件が、そのころの先生にあったのであろう」と、吉川が右の詩の「一任」の注の箇所で推測しているような事があったのかと思える。つまり「奇禍」があったのではないか。
しかし、そうした奇禍が何であったかを突き止める研究は、まだ出ていないようである。本稿は、この問題を考えてみるものである。
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