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六月十日、江戸に戻った松陰は、六月十六日、宮部鼎蔵に書簡を書いているが、それに、

佐久間修理、羽倉外記(簡堂)、頻りに幕吏へ苦心せしよし、然れども遂に修理を用いず。其の藩侯の為めには大いに用をなしたる趣。僕、日夜、其の家に至り、其の詳をきく、中々長鬚生(佐久間象山)も慷慨を起し申し候。僕、十日を以て江戸に帰る。

という。象山や羽倉簡堂が幕吏へ献策をしているが、受け入れられないのである。だが、象山は藩主の真田侯にとっては大いに役立っているのである。松陰は日々、象山が顎鬚をしごきながら慷慨するのを聞いていた。

 六月二十日、杉梅太郎宛書簡に、

 佐久間入塾の事、冗費多くして実効之れなき段、近沢生(啓蔵)など頻りに止め申し候。已に近沢も入塾し、未だ両月ならざるに退塾仕り、甚だ不平の條々歴挙仕り候事に御座候。夫れ故、先づかよひで参り候積りなり。

とあり、象山の塾では金ばかりがかかり、実効が少ないと近沢から聞いて、松
陰は塾に滞在しないで通いで済ます形を採っている。つまり、今までは通いの
門人であったのであり、塾に住み込みの門人ではなかった。そこで、住み込み
の入塾を考えてみたのだが、述べたような実情なので、通いのままにしてお
く、というのである。

 だが、象山の見識に感心していることは、同じ書簡に、

  佐久間云ふ、「西洋医云はく、病に近源あり、遠源あり。今疾あり、平日血脈粘着する如きは遠源なり、此の頃の暑氣にきけ疾起る如きは近源なりと。外夷の我が邦を軽侮する、何ぞ亦此れに異らんや。蓋(けだ)し吾れ本と巨艦なし、夷 我れを侮るの遠源なり。今、夷来たる、砲台 法を失ひ、砲門 備はらず、凡百の処置、皆其の当を失ふ、是れ夷我れを侮るの近源なり。夷の我れを侮らざらんを欲せば、宜しく意を此に注ぐべし」と。

とも書き込んでいることに窺われる。象山の分析によれば、我が国には巨艦が
無く、砲台および砲門が不足しているのが米国に侮られる基因だ、というのである。

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