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 前述したように、嘉永六年九月十五日付け杉梅太郎宛書簡に、松陰の最高の
象山評価を見ることができる。そうとすると、次の『幽囚録』(『全集』第二巻)
に見られるように象山に最も高い程度で私淑するようになるのも、やはりこの頃の
事であったろう。

余、平象山に師事し、深く其の持論に服し、事ごとに決を取る。象山も亦善視し、常に励まして曰く、
「士は過(あやま)ち無きを貴(たっと)しと為(せ)ず、過ちを改むるを貴しと為す。善く過ちを改むるは固より貴しと為すも、善く過ちを償うを尤も貴しと為す。国家多事の際、能く為し難きの事を為し、能く立て難きの功を立つるは、過ちを償うの大なるものなり」と。象山に購艦の説あるに及んで、余 意に期すらく、官或いは斯の事あらば、自ら請うて役に従い、万国の形勢情実を察観せん、亦過ちを償い恩に報ずるの一端なりと。而して象山の説、遂に行われず。

明敏緻密な砲術家であり兵学者でもある象山は、また直情径行の熱血漢でもあり、それ故に失敗も少なくなかったであろうが、その点で自分と似た所のある松陰を暖かく励ます。具体的にいえば、『論語』学而の「過てば則ち改むるに憚ること勿れ」に基づいて、亡命脱藩の過ちを犯した松陰を慰撫し、更に歩を進めて、過ちを償うために立て難きの功を立てることを勧める。これに発憤した松陰は、海外万国の形勢情実を観察することこそ過ちを償う方法だ、と考えるようになる。つまり象山は、嘉永六年九月中旬頃に松陰に海外視察の動機付けを行い、松陰またこれに答えて国禁を破る大望を抱くようになったのであろう。

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