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 次いで、海外事情探索の方法は、ジョン万次郎の漂流を参考にすべきことを詳細に説く。

すると、土佐の漂流民万次郎が幕府の御召出しに預かり、御普請役にお取立された(嘉永六年)と承けたまわり、心中窃かに喜んだのは、「これまで、いずれの国へ漂流しても外国へ漂流とさえ言えば、その者は終身禁錮されるという御法であるが、万次郎ことは、メリケンへ漂流いたし、彼方に於て少しく書物を読んだという理由を以て御召出しに成った。けれども万次郎というのは偏鄙の地に育った、猟師の子であって、和漢の文字をも心得なく、殊に幼年にて漂流したので、日本の普通の言語さえ差支えが多いほどで、御取立に預ったからといって、大事の御用には立つまい。それならばこの時期、学才がある有志の士が彼の地に渡り、その形勢事情に心を付け、かたわら砲術・兵法・航海の技を学び、二、三年にして帰朝するならば、幕府の御重宝にどれほど成ることか。万一、幕府にて御取用いが無くとも、皇国全体の利益は少なくあるまい」と思い付き、幸いに吉田生は、この節、逆境に居り、何がな功を建て、帰参の願いが叶うよう望んでいる事を熟知しているので、見込の次第を語ってみたところ、当人は骨髄に徹し、いかにもと思っている様子で、私に
「事を謀って見たいです」
と申すので、私が言ったのは、
「とにかく万次郎は此の節の手本であるから、漂流というのでなくては、幕府の御法が改まらぬ間は叶うまい。しかしながら漂流する事は九死一生の至難事であって、天運と人才に係っていると思われる。志があり才がある人でなくては、たとい漂流したとても世の益には成らない。人才に係っているというのは、このような分けである。有志有才の人があったとしても、風に放たれるのでなければ、この国の小舟で以て巨海を渡る事はできず、さて、そのような暴風が必ず起るということは、あらかじめ定め難く、また、その暴風には覆溺(ふくでき)の患いが全く無いとは言えない。天に係っているというのは、こういう理由だからである。とは言うものの、この御時節、天がこの皇国に幸いして下さらば、望む所の風も起り、無難に漂流もできよう。五島列島辺にては風の為に乍浦(さほ)(中国浙江省嘉興市乍浦鎮)辺の漁人が此の方へ来ることも、この方の漁人がかしこに到る事も、一年に五、六度は有るということを聞いている。

この頃、清の天徳の乱(太平天国の乱)も、あれこれ風聞はあるけれども、確かなることは分りかねる。昔、元のフビライが志を得たところ、我に弘安の乱が生じた。唐山の兵乱は我が国に甚だしい開係もあるから、これまた差向き探索したく、唐山地方にさえ漂着できれば、彼の地方にはメリケン等の船の往来が断えず有るだろう。それならば志しているカリホルニヤ、ワシントン辺に至る事も容易であろう。但し幕府には御法もあるから、いづれにしても万次郎に傲うということを忘れるな」
と申したところ、吉田は、
「いかにも心得ました」
と言って、慨然として旅装を整え、

こうして、象山の説に発憤した松陰は、海外万国の形勢情実を観察することこそ過ちを償う方法だ、と考えるようになる。つまり象山は、嘉永六年九月中旬頃に松陰に海外視察の動機付けを行い、松陰またこれに答えて国禁を破る大望を抱くようになったのであろう。

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