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ドナルド・キーン氏とは一度だけ会ってお話したことがある。
いつの頃であったか、京都の日本文化研究センターで私が発表した折、キーン氏も聴きに来て下さり、帰途、駅で短い時間だが、お話を伺った。
私は、キーン氏が終戦後間もない頃に、京都大学の国文学の大学院に留学したことを知っていたので、指導教授の野間光辰先生(西鶴研究の権威)の思い出を尋ねた。
当時は、さすがの野間先生も生活に追われておられたのであろうか、非常勤の大学の授業の方にばかり行っておられ、本業の京大での授業は休講が多かった―今では信じられない鷹揚さだー。そのため、キーン氏は登校しても授業が無いので、いつも同じ受講生の松田修氏(後年、大層な売れっ子になった)とともに待ちぼうけを喰っていたが、その際の教室での雑談がむしろ勉強になった、という。
その松田氏は、繊細な神経の持ち主であられたが、そのためか後年は難病になられた。そして、ある年、編集者たちが「松田修氏を励ます会」というパーテイを開催し、キーン氏も出席されたのであったが、「車椅子で押されて出て来て、涙が出るようでした」という由。
いかさま、若い元気な時を知っていたキーン氏には、衝撃が大きかったことだろう。
謹んで両先生の御冥福を祈ります。
平成三十一年二月二十四日
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