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 遅まきながら和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』(岩波文庫、二〇〇二年一〇月十六日、第一刷発行)を拾い読みしていて、明治二十八年十一月六日付けの漱石書簡に記されている彼の句稿の内に、
   昔々春秋 一句
  春王の正月 蟹の軍(いく)さ哉
とある(一六九頁)のに眼が留まった。題の「昔々(せきせき)春秋(しゅんじゅう)」とは、江戸中期の大坂の儒者中井履(り)軒(けん)の戯著といわれている漢文戯作であるからである。

 この『書簡集』には、和田氏による注が付されており、それは岩波版『漱石全集』の各方面の専門家諸氏による注を参考にして施されたものであるから、なかなか詳しくて正確なのであるが、惜しむらくは「昔々春秋」に就いては注が無い。この書に関しては一般の人々は殆ど知識を持たないであろうから、漱石の句を解し得ないし、勿論その面白さも理解できない、と思われる。そこで、ここに簡単に解説しておこう。

 該書は、「昔々」が表しているように、御伽噺の『桃太郎』『猿蟹合戦』等に材を取り、また「春秋」が語るように、古代中国の経書でもあり史書でもある『春秋』の文体を借りた、特異な作品である。つまり、童蒙も知っている卑俗なおとぎ話を堅い経書の文体を借りて記し、その卑俗と堅さの落差から生じる滑稽を狙った文学であった。

それは、江戸の須原屋伊八・英文蔵から刊行され、刊年は記されていないのであるが、およそ江戸中期以降の刊行と考えられる。作者に就いては、見返しに「中井履軒先生戯編」とあり、内題次行にも「中井履軒戯編」とあって、従来は浪華の郷校である懐徳堂の儒者先生である中井履軒の作と考えられて来たが、森銑三によって実は讃岐高松藩の赤井東海の作である、と断じられた(森銑三「昔昔春秋作者考」『森銑三著作集』十一巻)。東海は、昌平黌で古賀精里に学んだ漢学者である。文久二年(一八六二)十一月十四日没、七十六歳。

 だから、漱石句の下の「蟹の軍さ哉」は、「昔々春秋は猿と蟹の合戦を記したものよ」というほどの意味を表わしているのである。また、上の「春王の正月」は、「はる おうのしょうがつ」と訓み、『春秋』の独特の年次の表記法を取り入れたものである。従って漱石の句は、『春秋』の固い経書の漢文訓読体とおとぎ話の卑俗な内容を要約した言葉とを結び付けたものであり、やはり経書の堅さとおとぎ話の卑俗との落差から生じる滑稽を狙ったものである。だから、深刻で生真面目な句ではなく、飄逸な軽みを帯びた句である。戯作に基づいた戯作的な作品ともいえる。こんな句もあって良いだろう、という感じで作ったものであろう。

 それにしても、これは漱石が愛媛県の松山市に在った時の作であるから、この頃に滑稽好きな彼が市中の古本屋あたりで『昔昔春秋』を入手して、その面白さに興に入って、試しに作ってみたものではなかろうか。

    平成三十一年二月二十八日

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