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 四 漢詩への反映

 そのような心の疵を反映させたものが冒頭に一部分ずつ紹介した漢詩の詩句である。すなわち、(1)の、
  不顧人間笑語譁  顧りみず 人間(じんかん) 笑語譁(かまびす)すしきを
は、世間のやかましい嘲笑は相手としない、という意である。

(2)の、
才子群中只守拙  才子 群中 只だ拙を守り
  小人囲裏独持頑  小人 囲裏 独り頑を持す
は、小生意気な学生連中の内で、ひたすら不器用な自分を貫き、つまらない奴らに囲まれて、独り自分の意見を曲げない、というほどの意となる。

 (3)の、
  愧為読書誤一生  愧ずらくは読書の為に 一生を誤まるを
は、なまじっか読書学問を事としたために一生を誤まってしまった、という後悔の意を表わす。

 (4)の、
  白眼空招俗子咍  白眼 空しく招く 俗子の咍いを
は、くだらない連中を白眼視していたために嘲笑われることとなった、の意。

 (5)の、
  一任文字買奇禍  一えに任す 文字の奇禍を買うに  
も、(3)とほぼ同じく、英文学を学んだために却って災難に遭うが、それに任せておく、という自暴自棄的な気持ちを述べる。

 こうして二十八年五月二十六日頃に作られた漢詩は、すべて周囲の連中の嘲笑や文字読書上の奇禍を言うのであるが、それは漱石の経歴に照らして考えると、やはり東京専門学校に於ける排斥騒動を指している、と考えざるを得ないのである。

 これらの詩群以前に漱石が作った漢詩は、すべて十六首で、明治二十二年作が一首、二十三年の八月下旬に箱根に遊んだ際の作が十一首、二十四年の戯作体が一首、二十七年の恋愛詩的な作が一首あり、いずれも『漱石詩注』で読むことができるが、それらは皆、さほど深刻な感情や主題を詠じたものではない、と言える。ところが、私が指摘した右の五首は、見たように深刻な孤立感や挫折感に言及しており、それ以前の詩群とは明らかに基調音が異なっている。そして、そうした基調音の相違は、東京専門学校に於ける排斥騒動に発するものと考えざるを得ない。

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