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私がこう言うと、どうして二十五年十二月の騒動が二十八年五月に詠じられれるのか、時間がかなり隔たっているではないか、という反論が生じるかも知れない。こうした反論に就いては次のように考えている。

 第三節で述べたように、二十六年中は、漱石は鬱状態であった。二十七年にも、三月の尋常中学英語教授方案の取り調べや十二月の参禅に見られるように、まだその余波が残っていた。騒動の影響は、暗雲のように漱石の心裡を蔽っていたのである。それが二十八年四月の松山中学赴任の際に大分晴れたようである。赴任で瀬戸内海を渡ったので心機一転したようだ。その事を示すものが第一章で五月三十日書簡に見えるとして言及した七律「無題」の第五首である。

  破砕空中百尺楼  空中百尺の楼を破砕し
  巨濤却向月宮流  巨濤 却って月宮に向かって流る
  大魚無語没波底  大魚 語無くして 波底に没し
  俊鶻将飛立岸頭  俊鶻(しゅんこつ) 将に飛ばんとして 岸頭に立つ
  剣上風鳴多殺気  剣上に 風鳴りて 殺気多く
  枕辺雨滴鎖閑愁  枕辺に 雨滴(したた)りて 閑愁を鎖(とざ)す
  一任文字買奇禍  一(ひと)えに任す 文字の奇禍を買うに
  笑指青山入予州  笑って青山を指して 予州に入る

  空中の高殿を打ち砕いて、
  大波は月の宮殿に向かって寄せのぼる。
  大魚は無言のまま波の底に沈み、
  俊敏な隼は岸辺に立って飛び立とうとしている。
  剣の辺りには風が鳴って殺気が生じ、
  枕元には雨がしたたり、そぞろに愁いを抱かせる。
  書物の教授で災難を蒙ろうと構わず、
  笑って青い山々を指さしながら伊予に入って行く。

 一読、松山に到着した日のことを詠じた詩と分かる。二十八年四月八日の体験に基づいた作である。第一句に就いては、吉川は「「空中の楼閣」という常語を修飾した。人間の幻想の中にそびえる高楼」と注しているが、ここはそんなに難しい意味ではなく、海に盛り上がる巨濤のことを比喩したもの、と解すべきである。第二句と併せて、後から来る大波が前のそれを打ち砕きながら次々と押し寄せる様を詠じたもの、とすべきである。

 第四句の「俊鶻」について、吉川が「先生自身の比喩のように思う」と注しているのを補足すれば、二十七年九月四日書簡、安心立命の境地に至るのが難しいことを述べる箇所で、
  俊鶻一搏(いっぱく)起てばまさに蒼穹を摩すべし。ただこの頸頭の鉄鎖を断ずるの斧
  なきを如何(いかん)せんなどと愚痴をこぼしおり候も、
と、煩悩を吹っ切って安心立命の目標に向かって邁進する者の喩えとして、この語を用いているのを参考すべきである。新任の松山中学でやってやるぞという、希望に満ちた心情を暗喩した句と解せる。

 第五句の風に鳴る剣も、そうした昂る心情を象徴する暗喩であろう。ただ、第六句には少しく旅愁を述べる繊細さも反映されてはいるが。

 ともかく、この時の漱石は昂揚しており、英語の教授で排斥されかかった経験をも気にせず、新任の地に入ろうとしている。

 つまり、この詩には、排斥騒動の影と新任の光とが交錯している。かつての心の疵と将来への希望とが混合している。そうした意味で、漱石は、二十八年四月に至っても二十五年十二月の苦い記憶を引きずっているのであり、それが尚も詩句に反映されて来るのである。

 換言すれば、心機一転、捲土重来しようとしている漱石は、創作衝動が盛り上がって来るにつれ、過去の苦い記憶を消し去ろうと図るのである。しかし、それが果たして本当に消し去れているのであろうか、次章にその様相を見て行くことにしよう。

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