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  二傾桑田何日耕  二傾の桑田 何れの日か耕さん
  青袍敝尽出京城  青袍 敝(やぶ)れ尽して 京城を出ず
  稜々逸気軽天道  稜々(りょうりょう)たる逸気 天道を軽んじ
  漠漠痴心負世情  漠漠(ばくばく)たる痴心 世情に負(そむ)く
  弄筆慵求才子誉  筆を弄(ろう)して 才子の誉(ほま)れを求むるに慵(ものう)く
  作詩空博冶郎名  詩を作りて 空しく博(はく)す 冶郎(やろう)の名
  人間五十今過半  人間(じんかん) 五十 今半ばを過ぐ
  愧為読書誤一生  愧(は)ずらくは読書の為に一生を誤まるを

  蘇秦が言ったような百畝の桑田を耕すという気楽な生活は、何時になった
  ら実現するのか。
  書生の衣を破り尽くして東京を出て来た。
  鋭い意気込みで天の摂理を軽んじ、
  当てどない愚かな心で世間の人情に背いて来た。
  今さら文章を書いて才子だという名誉を求める気も無く、
  ただ漢詩を作って、いたずらに道楽者という評判を勝ち取るだけだ。
  「この世の寿命は五十年」というが、もう二十八歳にもなり、
  これまで学問して来たために人生を誤まったことが恥ずかしい。

 第二句の「青袍」は「青々たる子(し)が衿(えり)」(『詩経』国風、鄭風)に基づき、書生の着る服の意であるから、それをぼろぼろにするとは、不本意に研究教授生活を終えることを意味するので、やはり東京専門学校の排斥騒動を指している。
頷聯は、前詩よりやや弱気になって、我流を貫こうとした東京時代の処世態度を幾分か反省しているようにも読める。

 頸聯は、この時の漱石にはまだ文壇に打って出るという野心は生じていなく、趣味の俳句や漢詩の創作を楽しみたい、という気持ちを表わしていよう。高浜虚子の「漱石氏と私」二(『回想 子規・漱石』(岩波文庫一二一頁)によれば、明治二十九年の漱石の様子は、

  多くの時間は二階に閉籠って学校の先生としての忠実なる準備と英文学者としての真面目な修養と
に力を注いでたのである。後年『坊ちゃん』(筆者注、明治三十九年発表)の一篇が出るようになっ
てから、この松山中学時代の漱石氏の不平は俄かに明るみに取り出された傾きがあったとしても,
それらの不愉快には打勝ちつつ、どこまでも真面目に、学者として教師として進んで行く考えであっ


というもので、文壇に出るなどの考えは無かったのである。況やまして、その前年には尚更そうした野心など無く、そのようなやや隠遁者的な抱懐を表わしたものというべきであろう。

 そして尾聯は、第四章に言及した如く、排斥騒動に由来する松山赴任を学問した所為だと、やや後悔するかのような感慨を洩らすのである。やや弱気になっている、という所以である。

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