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    唐権氏の「長崎歴史文化博物館蔵『書翰集』について」に関して

  華東師範大学の唐権氏は、今、京都の国際日本文化研究センターで研究されている由。まだお目にかかったことは無いが、私の「江芸閣(こううんかく)年譜」(『近世日中文人交流史の研究』所収)に刺激を得たということで、江芸閣の研究を続けておられ、このほど、その成果の一である「長崎歴史文化博物館蔵『書翰集』について」(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター研究報告⒓『近世日本と楽の諸相』所収)という抜刷を送って来られた。

 江芸閣とは、江戸時代後期、中国の蘇州から貿易のために日本の長崎にたびたび渡り、日本の文人や妓女と交流した人物である。彼は貿易商ではあったが、もとは科挙の受験生として勉学した身であったから詩文が達者で、文政元年(一八一八)、長崎に旅した頼山陽なども彼と面会したがったのであるが、折悪しく彼が帰国していた年であったので会えなかったことは、有名な話柄だ。
 
 『書翰集』は、その江芸閣と、同じく来舶清人沈萍(しんへい)香(こう)が彼らを世話した日本人の水野媚川たちに宛てた書牘や詩を集めたもので、日中文人交流史の貴重な資料集というべきものだが、それを唐権氏は大変な苦労の末に解読し翻刻したのである。『書翰集』は、経年劣化、虫損のため解読不能の部分が多かったとの事であるが、唐権氏は、九十年前に増田廉吉がそれを筆写した副本ともいうべき『芸閣を環る書翰其他』を利用して、見事解読したのである。

 この貴重な資料集を私はまだ、ざっと眼を通しただけであるが、その内、取り分け面白いと思った部分を紹介する。

 一つは、江芸閣書翰における、有名な白話小説『紅楼夢』に就いての記載である。それに拠れば、
  通事(通訳)の陳楠圃が『紅楼夢』一部を求めたので、彼に寄贈する。この
  本は、弟(江稼圃)が読んでいたもので、中に作中の諸人物を品評した詩が
  書きつけてあり、尋常の本とは比べ物にならない。
という。陳楠圃とは、たぶん日本人の通訳の唐名(中国風の姓名)であろう。江稼圃の作中人物評の詩が記入されているというのであるから、唐権氏も言うように、『紅楼夢』受容史の「貴重な証言」が書き込まれた本なのであり、それが当時の日本人の手に渡ったのである。唐権氏ならずとも、この手沢本が日本の「どこか」に残されていることを切望するものである。

 もう一つは、沈萍香が我が伊達政宗や上杉謙信の漢詩を批評している部分である。伊達政宗の分だけ紹介しておくと、彼に有名な「述懐」という五絶がある。
  馬上少年過  馬上 少年過ぐ
  太平白髪多  太平 白髪多し
  残躯天所許  残躯 天の許す所
  不飲又如何  飲まずんば 又た如何(いかん)

  若い時は戦場で馬を走らせていた。
  平和な世となって、すっかり白髪頭。
  生き残ったのは天のお恵みだ。
  酒でも飲まなければ、やっていられるか。
という、戦乱の世と平和な治世との対比を詠じた詩である。この承句の「太平」を「山中」と改めたらば「更に妙」になろう、と沈萍香は言う。山中に隠棲している身の上を明らかにしたらどうだ、という批評である。

私見によれば、しかしそれでは、徳川の代となって平和になったという事情が分からないから、やはり「太平」のままで良いのではなかろうか。沈萍香の批評は、少し為にするもの、改めなくても良いものを自分の見識を示す為に敢て改めてみせたもの、という感じがするのであるが、如何であろうか。

ともかく、かように読者の思考をいろいろ刺激してくれるものとして、唐権氏の資料紹介と解読は、有り難いものである。

なお拙著『近世日中文人交流史の研究』は、漢詩文の引用が多いせいか、日本近世文学・文化の研究者よりも中国の日中文化交渉史の研究者の方が関心を持ってくれるようで、何か複雑な気持ちである。

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