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吉田松陰と『伝習録』

嘉永三年(一八五〇、二十一歳)九月十四日、肥前の平戸に到着した吉田松陰は、藩の家老であり陽明学者でもある葉山佐内(五十四歳)の宅に至り拝謁し、その命によって紙屋という所に宿泊する。そして明の王陽明の『伝習録』を借りて、抄録することを始める。

この抄録から松陰が『伝習録』のどの部分を肝要としていたか、換言すれば興味を抱いたかを知ることができる。また、その部分を抄録した理由をも推測することができる。ただし、それは短い原文を挙げているだけで、それを抄録した理由などに至っては全く説明が無いので、あくまでも推測に止まる。しかし、これを推測することは、この時期の松陰の興味や志向を知る手掛かりになるので、避けて通ることはできない。以下に、順次に抄録部分を挙げ、抄録した理由を推測してみよう。

九月十七日、『伝習録』を読み、この時期の日記である『西遊日記』(『吉田松陰全集』第九巻)に抄録している。僅かに「記誦・詞章、功利・訓詰」とだけ抄録しているのは、巻之上、四九の、「後世の儒者は又只だ聖人の下一截(かいっせつ)(浅近な事蹟)を得て、分裂して真を失い、流れて記誦・詞章、功利・訓詰と為り、又卒(つい)に異端たるを免れず」というのに拠ったのである。儒者が経世済民を忘れて文辞にのみ耽る風潮が松陰の当時の状況にも該当すると考えて抄録したのであろうか。

 九月十九日、王陽明の『伝習録』読むと断って、巻中「人の学を論ずるに答うる書」五の、

蓋し「天を知る」の知は、知州・知縣の知の如し。知州は則ち一州の事は、皆己れが事なり。知縣は則ち一縣の事は、皆己れが事なり。是れ天と一たる者なり。

を抄録している。松陰がなぜ長い五の文章の内からこの部分を抄録したのか、その理由は推測し難いが、五は「心を尽くし、性を知り、天を知る」という句を何回も引くことに見られるように「知」ということを問題としているので、その「知」の意味を把握する手掛かりの要所として、この部分を抄録したのであろう、と考えられる。ここでは、知州・知縣という場合の「知」と同義だとするが、それは己の所管領域全体を統括する、というほどの意味である。つまり天と一体になる、というほどの意味で用いられていようか。そのような「知」の捉え方を抑えておくために抄録したのであろう、と考えている。

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