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吉田松陰と『先哲叢談』
嘉永三年十月十六日、葉山にて『先哲(せんてつ)叢談(そうだん)』前編(原念斎編)四冊を借りる。いうまでも無く、江戸期の七十二人の諸儒の事蹟や言行を集録した漢文体の書である。
十月十八日、『先哲叢談』を卒業する。三日間で読了し、しかも一々、諸儒の事蹟や言行の内から参考にすべきものを抄録しているのは、大変な努力である。たとえば、十七日には、夭折した林春斎の「武人 兵を執りて戦うや、死を効して功を建つ。学者 書を読みて言を立つるや、為に性命を隕(おと)すは、固より其の望む所なり」という言葉を引いているのは、その生き方に感銘したからであろう。
また、この日には成島(なるしま)錦江(きんこう)の伝から次の和歌二首を抄録している。
思へども、人のわざには、限りあり、力をそへよ、あめつちの神
直ぐなるを、守るときけば、何事も、神にまかする、身こそ安けれ
両者とも人事を尽くした後には神(天とも考えられる)に任せる、という考え方が詠じられていて、松陰はそれに共鳴したのであろう。
十月二十五日、終日、『先哲叢談』後編を閲読する。それに関連して、該書前編七に記されていた「宇野士新兄弟」(十月十八日閲読)に就いて、次のように記す。
宇野士新兄弟の事に於て欽想(きんそう)恋々(れんれん)、身、之(みこれ)れと斉(ひと)しからんと 欲(ほっ)す」。その夜、父の前で兄・妹寿(ひさ)・弟敏とともに程(てい)明道(めいどう)・程(てい)伊川(いせん)の詩を誦する夢を見、さらに「天、程氏なく、士新兄弟を賜う」という句をも見た。(「夢を記す」)
このように家族や兄弟の夢を見るのは、十月十八日の条に記しているように、士新兄弟の仲の良い勉学ぶりに自分と兄の関係を思う所があったからであろう。兄とは仲の良い時もあるが、喧嘩口論する時もある。そうした自分たちの関係と比較して、複雑な思いを抱いたのであり、それ故に夢にまで見たと思われる。
二十六日、『先哲叢談』後編巻八を抄録する。ここで、次の七絶「読先哲叢談前後編」(先哲叢談前後編を讀む)を作ったであろう。
学術由来孰最真 学術 由来 孰(いず)れか最も真なる
達材成徳総酸辛 材を達し 徳を成す 総べて酸辛
寒燈一穂照単独 寒燈 一穂(いっすい) 単独を照らし
尚友先賢百卌人 尚(しょう)友(ゆう)す 先賢 百卌人(ひゃくしじゅうにん)
〇韻字 真・辛・人(上平声十一真)
学問というものは、元来どういうものが本当のものなのか。
人材を造り学徳を達成するには、どんな場合でも辛苦するものだ。
一本の侘しい灯火に独り照らされて読書し、
百四十人の先賢を尊敬し親しむことだ。
江戸時代の漢学界には様々な流派が林立した。朱子学派、陽明学派、古義学派、古文辞学派、折衷学派、考証学派等々である。そして、それらがそれぞれ覇を唱えた。そのように流派が分立しようとも、それなりに学問と人徳とを達成するためには大いなる辛苦と努力とを必要とする。松陰は、『先哲叢談』前後編を通じて百四十四人にも達する先賢を学派を超えて敬愛する。そうした態度を要約したものが右の七絶であった。
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